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    <title>千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社</title>
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    <updated>2012-01-09T01:52:55Z</updated>
    <subtitle>いにしえの偉人、達人の知恵と言の葉のエッセンスを、古典の名言、名文から汲み取り、分かち合うためのページです。日本精神文化を代表する能、茶道、武士道、俳諧、禅などの古典名著から毎回、名言・名句をピックアップ。解説とともにおすすめ作品の本文を現代語訳にて抜粋、ご紹介していきます。</subtitle>
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    <title>冬の名作鑑賞。国立能楽堂「東京若手能」</title>
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    <published>2012-01-09T01:42:59Z</published>
    <updated>2012-01-09T01:52:55Z</updated>
    
    <summary> 年に一度、東京の新進気鋭の能楽師が、全力で能の名作に挑む「東京若手能」。第二十...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/resize0137.jpg"align="right">

年に一度、東京の新進気鋭の能楽師が、全力で能の名作に挑む「東京若手能」。第二十一回東京公演が、2月4日（土）千駄ヶ谷国立能楽堂にて開催されます。演目は、能「葛城」と「雷電」の二番。狂言「伯母が酒」。演者は観世流、喜多流、狂言大蔵流のそれぞれ次代を担う実力派若手能楽師のみなさんです。今回「葛城」は梅若家の名手、梅若玄祥師が地頭をつとめます。]]>
        <![CDATA[◆事前イベント◆
開演に先立って特別に観劇会員向け事前演目レクチャーと能舞台見学会が催されます。
第一部の演目レクチャーを【言の葉庵】能文社代表水野聡が講師を担当します。

※事前イベント予定
・若手能　演目レクチャー　11:30～12:10 於　国立能楽堂大講義室
・能舞台見学　12:10～12:30　於　国立能楽堂研修舞台
・「東京若手能」開演　13:00～

※なお事前イベントにつきましては、下記主催者あてお問合わせ、ご確認願います。公演チケットも現在残席僅数ですが、同会にてお取り扱い可能です。
<a href="http://sui-no-kai.jp/event/index.html">【粋の会】</a>メール　sui@sui-no-kai.jp　(担当/藤澤)


<a href="http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2011/586.html?lan=j">■第二十一回能楽若手研究会東京公演　(東京若手能)</a>

公演期間　2012年2月4日（土） 
開演時間　午後1時
演目・主な出演者　能「葛城」　シテ　角当直隆（観世流）
狂言　「伯母ヶ酒」　山本則秀（大蔵流）
能「雷電」替装束　シテ　佐々木多門（喜多流）
＊字幕付きです（日本語・英語）
前売開始日 電話予約開始：2012年1月9日（月）
窓口販売開始：2012年1月10日（火）
＊窓口販売用に別枠でのお取り置きはございません。
等級別料金 正面　　3,000円
脇正面　2,500円　（学生：1,800円）
中正面　2,000円　（学生：1,400円）
お問い合わせ先 国立劇場チケットセンター（10：00～17：00）
0570-07-9900
03-3230-3000（PHS・IP電話）]]>
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    <title>【日本文化のキーワード】第五回　位</title>
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    <published>2011-12-30T23:27:03Z</published>
    <updated>2011-12-30T23:44:10Z</updated>
    
    <summary> 言の葉庵HP開設時より続くコラム、「日本文化のキーワード」。今回、第五回目は、...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/keyword kurai.jpg"align="right">

言の葉庵HP開設時より続くコラム、「日本文化のキーワード」。今回、第五回目は、「位」をとりあげました。
日本の芸術・芸道や文芸、生活文化など幅広い分野にわたって古来より根源的な通則として重んじられ、継承されてきた概念。「位」の軽重を問うことで、その作品なり、表現の価値が決定された、といっても過言ではありません。]]>
        <![CDATA[シテの位・ワキの位・ツレの位。鬘物、「定家」の位は重く、「羽衣」は軽い。序の舞と真の序の舞の位取り…。とりわけ、能においては「位」を抜きにしては何も始まらない…というほどに尊重され、すべての基調となっています。曲・三役・役種・段落の違いなど主要なものはもちろん、たとえば、狂言の足袋の色・地謡と後見の襟の色など、瑣末な規則にいたるまで、能においては「位」が、すべてを支配するルール、歴史的規範とされてきました。
和歌や俳句などの文芸、書画、茶道、武道など各分野において「位」は主要概念とされていますが、今回は「位」がもっとも象徴的かつ具体的にあらわれる<能の現場>を見本として試論にまとめてみました。


―目次―

1.『風姿花伝』の位・長・かさ
2.現代の位の定義
3.能における位とは
4.世阿弥の『九位』
5.『兼資芸談』にみる位の現場
6.日本文化のキーワード　バックナンバー 





1.『風姿花伝』の位・長・かさ


世阿弥の『風姿花伝』第三　問答條々では、「位」について観阿弥、世阿弥父子の間で以下のような具体的な問答が取り交わされています。


問。能に位の差別を知る事、如何。

答。これ、目利きの眼には、やすく見ゆるなり。およそ、位の上がるとは能の重々の事なれども、不思議に、十ばかりの能者にも、この位自れと上る風體あり。ただし、稽古なからんは、自れと位ありとも、徒ら事なり。先づ、稽古の却入りて、位のあらんは、常の事なり。また、生得の位とは、長なり。かさと申すは、ものものしく、勢のある形なり。また云はく、かさは一切に亙る儀なり。位・長は別の物なり。例へば生得幽玄なる所あり。これ、位なり。しかれども、さらに幽玄にはなき爲手の、長のあるもあり。これは、幽玄ならぬ長なり。
　また、初心の人、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。また、稽古の却入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で来る事あり。稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。
　よくよく公案して思ふに、幽玄の位は生得のものか。長けたる位は却入りたる所か。心中に案を廻らすべし。


『風姿花伝』では、「位」「長」「かさ」を、それぞれ芸位を測る基準として、まずは取り入れています。これらの尺度は現代ではどのように定義付けられているのでしょうか。一般的な辞書の解釈を以下ご紹介してみましょう。


2.現代の位の定義

【位】
1.地位
2.席次・位階
3.等級・順位
4.品位・品格
→生得幽玄なる所「風姿花伝」
→生得の位は長なり「風姿花伝」

【長(たけ)】
1.高さ
2.身長
3.(丈)程度、深さ
4.四尺～四尺九寸の馬
→却入りたる所「風姿花伝」

【かさ(嵩)】
1.大きさ・量
2.高所
3.勢い・威圧・貫禄
4.能芸の幅・厚み
→一切にわたる儀「風姿花伝」
→ものものしく勢のある形「風姿花伝」
→金剛はかさありしシテなり「申楽談儀」


今日的解釈では、「位」とは上の3.「等級・順位」と4.「品位・品格」が組み合わさったもの、
「長」とは1.「高さ」または3.「深さ」、そして「かさ」とは、4.「能芸の幅・厚み」ととらえれば、一応簡単な説明はつくかと思われます。
風姿花伝では、「位をめざした稽古は実りがなく、稽古を積み重ねた結果自然と身につくもの」と定義。そして、「位」は生得のものとして「幽玄」と重ね合わせ、「幽玄の位は生得のもの」「長けたる位は却入りたる所」とそれぞれの質的差違に一線を画するのです。


3.能における位とは

能でもっとも重視される「位」とはいかなるものか。何に、いつ、誰によって、どのように適用され、現れるものか…。平凡社『能狂言事典』(1987)から、その概要をご案内してみましょう。

◆〔位〕くらい

能、狂言の用語で、演技・演出全般を規定する理念。奏演する演目の曲籍(初番目脇能、二番目修羅能、三番目鬘能、四番目雑能、五番目切能）や曲柄(神舞物、序ノ舞物、早舞物、神楽物、狂女物、老女物など）・級位(大習、重習、九番など）と、演ずる人物の役種(シテ、ワキ、アイ、地謡など)と役柄(老人、女、男、僧、神、鬼など）の別をそれぞれ把握し、理解したうえで作られる全体的な表現方法。
普通、（位が重い) (位が軽い）と表現されるが、これは演出効果の上で重々しい充実した感じをうけるか、逆に軽い爽快な感じをうけるかの違いを示す。
位は、謡・雛子・所作のすべてにわたって、それぞれの技法によって総合的に表現される。謡では音高(高低)、速度(緩急)、息扱い（強弱、抑揚の変化）などがボイントとなる。囃子のうち、打楽器は掛声(高低と長短)、速度(緩急)、音扱い(強弱)、音高(高低)、長短などが、また笛では速度、音高、長短のほかに修飾音がポイントとなる。所作では全体のカマエ、足のカマエ・ハコビ、動作の緩急などがポイントとなる。
位は流派による差や個人差のほかに、面、装束、曲籍などの変更によっても変化する。また、小書がつくと一般に位は重くなる。


〔実例〕
能を何度かご覧になった方ならお気づきと思いますが、三役の中でとくに「位取り」といって、「位」なしでは成立しないのが囃子方です。能の舞を主に囃しますが、序の舞・中の舞・男舞・早舞などの舞事では、笛の譜や大小の手付けはほとんど変わらないため、主に舞の種類を「位取り」によって〔掛声(高低と長短)、速度(緩急)、音扱い(強弱)、音高(高低)、長短〕などの違いで演奏し別けるのです。
これはもしも目をつぶって耳だけで囃子を聞いたとしたら、たとえばさらり目の中の舞と男舞などは、能をよく見ている人でもなかなか聞き分けが難しい。たとえば、序の舞物の「江口」、「揚貴妃」、「杜若」を囃子だけ聞いて曲名を言い当てることができるのか？鑑賞と判定の難しいところですね。
それにひきくらべて初心者でも、歴然と囃子の位がわかるのが、狂言の囃子ではないでしょうか。狂言の舞事などで囃子がつく場合、まず大小は床几を降りて向かい合って端座します。そして異様に低く、短い掛け声でまるで「気の抜けた」ように囃すのです。笛も決して本気で吹き込みません。これはシテ方と狂言方の「位」の違いによるもの。世阿弥の時代から引き継がれてきた伝統の“型”なのです。同じ楽器、同じ拍子と旋律でも、まったく「別の音楽」になってしまう、わかりやすい現場の実例といえましょう。



 
4.世阿弥の『九位』

世阿弥の能芸論『九位』をひもとき、能の「位」についてさらに探求していきます。


●世阿弥が定義する『九位』とは

『九位』は、世阿弥晩年の能芸論。能役者の芸位を上位三位、中位三位、下位三位の合計九位に別け、稽古や修行の進行過程とめざすべき目標を明確に定義したものです。
禅の「却来」という概念を修行に取り入れることにより、様々な分野に幅広く応用できる、普遍的な芸道修行論として位置づけられましょう。また、この九位は役者の芸位であるとともに、能の曲目の順位付けにも適用される。日本独自の文化であり、また抽象的な「位」という概念を、世阿弥独自の命名法と定義によって具体化し、後世へ明確な芸の指標としたことは、とりわけ高く評価されています。

<a href="http://dp20101654.lolipop.jp/img/kyuui%20gainen.jpg">『九位』の概要図(付表)</a>と各位に付した世阿弥の注釈を以下ご紹介しましょう。

●世阿弥の「九位注」

〔上三花〕
妙花風―「新羅、夜半日頭明らかなり」
寵深花風―「雪、千山を覆ひて、孤峯如何か白からざる」
閑花風―「銀椀裏に雪を積む」

〔中三位〕
正花風―「霞明らかに、日落ちて、万山紅なり」
広精風―「語り尽す山雲海月の心」
浅文風―「道の道たる常の道にあらず」

〔下三位〕
強細風―「金槌影動きて、宝剣光寒し」
強麁風―「虎生まれて三日、牛を食ふ気あり」
麁鉛風―「木鼠は五の能あり。木に登ること・水に入ること・穴を掘ること・飛ぶこと・走ること。いずれもその分際に過ぎず」


●中初→上中→下後と稽古は進む

『九位』のなかで世阿弥は、〔幽玄〕を境界に置き、シテの芸位を妙花風・寵深花風・閑花風の上三花、正花風・広精風・浅文風の中三位、強細風・強麁風・麁鉛風の下三位、すなわち上・中・下の九位であらわしました。稽古の進むべき理想的な道筋が、中初→上中→下後であることを説いているのです。

これは、上の『九位』概要図に示されるとおり、まず初めに「浅文風」（二曲）より入門して「広精風」（三体）を経て「正花風」（得花の境）へと進む。得花の境に至ることで、はじめて〔幽玄〕の基礎が構築される、としています。
以降、さらに高位の幽玄の花風を示す上三花、すなわち上の下「閑花風」・上の中「寵深花風」・上の上「妙花風」にたどり着き、ここにいたって「奥義・至上の道は果てる」、としています。この境地から「却来して」（最高無上の境地から、下位に立ち戻り）、下三位の芸にも通じ、遊んで、下位の非幽玄風の曲を和らげて生かす〔道の絶えたる位〕へ到達することとなります。


●中三位では、「二曲三体」をわがものとする

二曲三体と九位との関係をみると、「浅文風」と「広精風」が二曲三体をまず学び、幽玄風の基礎を築く段階（無主風）だとすれば、「正花風」は三曲三体を完全に修得して幽玄風を自在に操れる（有主風※）に相当します。「正花風」が得花の境とされるのは、中三位で始めた修行がここにいたらなければ、やがて芸位が非幽玄風の下三位に転落してしまうからです。

※師に似せるだけで我がものになっていない芸を「無主風」と呼ぶとすれば、師の芸を自分のものにし、安々と演ずることができる状態を「有主風」としている。


●上三花は、芸の最高位

能の芸位のもっとも高い段階が上三花です。上三花のスタート、「閑花風」は、得花の位をさらに突き抜けて、この道を極めたシテが幽玄な風体を安々と演ずることができる位（『拾玉得花』でいう安位）。
「寵深花風」は、安位を得て芸に工夫公案をめぐらし、幽玄無上の風体を演ずることができる闌けたる位（『至花道』でいう闌位）をさします。
そして「妙花風」とは、その闌位の上を行く無心無位の境地に入って、言語を絶する無心の感を催させる所（『花鏡』でいう妙所）、自ずから心のなかの想いと一致してあらわれ出るような、幽玄無上の風体の考え得る〔最高絶対の境地〕を表しているのです。

このように『九位』では能に限らず、すべての芸道にも適用され得るほど、修行・稽古の段階と芸風・芸位との相関関係が合理的に明示されています。
世阿弥の「九位注」の、たとえば「寵深花風―雪千山を覆ひて、孤峯如何か白からざる」、「閑花風―銀椀裏に雪を積む」などの表現は、とかく抽象的に流れやすい高次の概念を、文学的ともいえる具体イメージに転換し、修行者にとって明解な指標となっているのです。


●下三位に却来する”悟りの芸位”

非幽玄風の下三位を、前述「九位注」によって見てみましょう。
「金鎚影動きて、宝剣光寒じ」の「強細風」は砕動風と定義され、下の上に位置付けられます。「虎生れて三日、牛を食ふ気あり」の「強麁風」（「鹿」は「細」の反対で荒く粗野なの意）は、力動風とされる下の中。「五木鼠」（五つの能力を持つ木鼠(むささび)の意。五つの能力とは木に登る・水に入る・穴を掘る・飛ぶ・走るの五つのことを言い、そのうちのどれひとつとってもその分際に過ぎず、優秀な能力はない）にたとえる「麁鉛風」に至っては、下の下。芸も粗野で鈍重なら、曲の位もすぐに廃曲になってしまうほど、取るに足らぬつまらないものということになります。『申楽談儀』で世阿弥は、<どっという位>という表現を用い、「たとえば京にはじめてのぼった者が、南外れの東寺を見て“あっ”と声を上げるようなもの」と、下三位の低い芸位を説明しているのです。

しかしまた、低い芸位・曲位である下三位を活かすための方法論として、前述の禅に由来する「却来」という概念が導入されます。世阿弥は、「悟りの境地に達した者が一切を放下して初心に立ち戻る」というこの禅語を借用して、上三花を極めた達人が下三位の芸に気楽に立ち入るという意味に転換して用いたものです。同書「九位習道の次第條々」には、「中初より入門して、上中・下後と習道したる、堪能の達風にては、下三位にても、上類の見風をなすべし」とあります。

目利き、目利かずによらず、すべての人に愛されることこそ芸能の本意であり、またその道が永遠に続いていく秘訣―。『風姿花伝』で、「衆人愛敬」を能の指針とした世阿弥は、下の下の麁鉛風の曲でも、これを観客が求める限りは「上類の見風」をなして生かし切ろうとした。さらにいえば低い芸位に過ぎない下三位の曲も、位を超越した達人が演じることにより「巌に花の咲かんが如き」幽玄な味わいが生まれえる可能性をも示唆したのかもしれません。
いいかえれば、この「却来」が導入、実行されたことで、いたずらに高尚・難解につき進むことなく、逆に下世話・娯楽に堕落することもなく、幅広い世界観と奥行きを得て、能という芸能の命が650年後の今日へと伝えられたともいえましょう。 




5.『兼資芸談』にみる位の現場

『風姿花伝』『九位』、世阿弥の二つの著作により、「位」の理論的根拠は明らかになったものと思われます。最後に「位」について、現場の能役者がどのように考え、どのように実行していったのか。明治、大正、昭和期の大名人とされ、現代能役者の誰もがあこがれ、かつ目標とした、宝生流故野口兼資師の芸談から、能の現場におけるいきいきとした「位」の姿をご紹介します。
『兼資芸談』は昭和28年発刊。現在、古書店でも入手が困難と思われますので、以下の段落を全文引用してご紹介しました。


■曲の位と心得

能にしても謡にしても、その曲の位と心持とがあらわれてこなくては、藝の味いというものは感じられません。仮りに脇能物だからといつても、曲によつてそれぞれ位の取り方が違わなければなりません。高砂でも加茂でも養老でも、すべて眞の一セイでありますが、高砂は尉と姥だし、加茂の方は色有（若い意）の女二人、養老はまた親子二人だから、そこに違いがあるのです。シテが老人だからと申しても、高砂や老松などの老人と、阿漕や鵜飼や融の老人では位が違います。尤も阿漕や鵜飼は漁師の化身だし、高砂や老松のシテは同じ老人でも神の化身なので気韻があつて、そこにも自然に違いがある訳です。能の方からみますと、高砂や老松などはすべて眞の一セイで、阿漕や鵜飼や融は唯の一セイであります。また同じ一セイの老人でも融は大臣の化身で、心持に於ても阿漕や鵜飼の老人とは違っている。謡い方からみると眞ノ一セイ物は普通の一セイ物よりは位もあり、調子も静まつた所がなければなりません。

二番目物では公達物、勝修羅物、普通の修羅物とではそれぞれ位も心持も違わねばなりません。田村、八島、箙などの勝修羅物でも、前シテはそれぞれ人物にも違いがあつて、この点に心の持ち方があり、公達は所謂平家の公達をシテとしたものだけに、優雅な柔かみがなくてはならず、女物の朝長と巴がありますが、朝長の前シテと巴とでは年配も違うし、趣きも違う。朝長は静かな落着きをもつているし、巴の方はどこかにはでやかさがあるのです。曲によつてよくその趣きを弁えて謡うことが肝心であります。

老人は頼政と實盛の二番丈です。普通の修羅物と違い、このキリは、ノリ合いよくしつかり謡います。ノリがいいとかるくなるし、しつかり謡うとノリがなくなります。難しいところです。

髪物は総じて優美でなければなりません。位も調子も静かを第一とします。松風は眞ノ一セイで出るだけに位も心持も静かですが、熊野の方は静かな中にも幾分花やかな所があり、序ノ舞物の江口、揚貴妃、杜若では内容も違い、曲の軽重もあつて、位にも心持にも違いがある訳です。江口などは特に心持も多く謡も余程難しいのであります。
狂女物は総じて位、心持など変化が多いものが多いのですが、同じ狂女物の中でも柏崎などは、一曲が中入と、物着と、その後との三段にわかれていまして、心持の変わりもあり深味があつて、百萬や櫻川などとはかなり違いがあつて、謡もむつかしくなります。

何れの曲でもその成り立ちをよく心得て、その曲の心持に添うように位を取り、調子を整えることが大切なことで、唯文句に節を附けて謡うだけでは、本当の謡の趣味は出てこないのです。先づ曲柄のこと、それから人物、装束、舞のことなどを考えて、位や心持をわきまえて謡うように心掛けないと、謡の趣きを謡い出せないという事になる訳です。

以上の事柄は大体シテの心構えを主としたお話ですがツレもワキも、トモもすべてシテの心と、曲の内容を十分に心得て謡わねばならぬ事は勿論です。殊にシテヅレはシテに件うものが多いのですから、シテの位や心持に添うことが肝心です。例えば高砂のツレ姥にいたしましても、ツレだからすべて軽く謡うのですが、軽いからとて調子を高々と謡つたり、かけ出したりして、余りにシテとかけはなれるなどの事はよろしくありません。松風のツレなども甚だしくシテとかけ離れた調子でなく、やはりシテの風情をそこなわぬよう影の形に添うように謡つて行く事が大切です。又女ツレが男ツレのようになつてしまうなどというような事は、常に避けるように注意をしなければなりません。

謡い方について、段々に深みへ考えを及ぼして行きますと、細かい節の扱い方とか、緩急とか、抑揚とか調子のメリハリなどに及びますが、これ等の事柄は一曲について申しても、仲々容易につきませんから後日にゆずりますが、遅速、動静とでも申しましようか、人間でも走つたあとは休むとか、ゆつくり歩くとか、働いたあとは休養するといつたように、謡でも、ヒキ節の前やヒキ節を謡つたあとはかかりめになるとか、しめたあとはゆるめるとかするように、動静の原理を失つてはいけません。また駈け週ぎてもいけないし、遊びすぎてもいけないように、物事には程合が必要で、それらの原理とかほどあいとかは謡にも必要なことで、大きい聲で謡うばかりがよいのでもなし、聲を締めたり絞り適ぎるのもよい事ではなし、やたらに力むこともよろしくない。萬事は程合、頃合ということが肝腎でありましよう。

『兼資芸談』わんや書店　昭和28年



 
6.言の葉庵HP【日本文化のキーワード】バックナンバー

<a href="http://nobunsha.jp/blog/post_92.html">・第四回　さび</a>
<a href="http://nobunsha.jp/blog/post_50.html">・第三回　幽玄</a>
<a href="http://nobunsha.jp/blog/post_46.html">・第二回　風狂</a>
<a href="http://nobunsha.jp/blog/post_42.html">・第一回 もののあはれ</a>

※「侘び」については以下参照
<a href="http://nobunsha.jp/blog/post_25.html">・［目利きと目利かず　第三回］</a>
<a href="http://nobunsha.jp/blog/post_28.html">・［目利きと目利かず　第四回］</a>
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    <title>名言名句　第三十三回　論語　逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎（お）かず。</title>
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    <published>2011-12-12T07:56:13Z</published>
    <updated>2011-12-12T08:32:34Z</updated>
    
    <summary>　No.50 逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎（お）かず。 ～孔子『論語』子罕第九...</summary>
    <author>
        <name>Anshu</name>
        <uri>http://nobunsha.jp</uri>
    </author>
            <category term="meigen" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nobunsha.jp/">
        <![CDATA[<img align="left" src="http://nobunsha.jp/img/senjo.jpg">　<span class="green">No.50</span>
逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎（お）かず。
～孔子『論語』子罕第九


〔原文〕
子、川上に在りて曰く、
「逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎（お）かず」と。

〔訳文〕
川のほとりで、先生はこういった、
「過ぎ去るものはみなこの川の流れのようなもの。昼も夜も、休むことはない」と。

〔解説〕
一般に「川上(せんじょう)の嘆」として知られる、論語の高名な一節です。論語の他の名句と同様、時間、場所、対話者が特定されないため、古来この句の解釈も大きく二つの方向に分かれてきました。
「川上」とは、川の上流ではなく、川のほとり。滔滔と絶え間なく流れゆく大河にのぞんで、時を得ず、志も遂げられぬまま老境を迎えつつあるわが身を嘆じて吟ずる老いた旅人。晩年故郷の魯を出国し、理想の国主を求めて放浪、遊説の旅を続ける途上、孔子がもらした悲嘆の言葉とするのが、古くからの解釈でした。

古注にこの句を引いて、包咸は、
「逝は往也。凡そ往く者は川の流れの如し」
とし、鄭玄は新出の注で、
「逝は往也。人の年の往くこと水の流れ逝くが如きを言う。道有りて用いられざるを傷む也」
と、孔子の悲嘆を指摘しています。

冉冉として三つの光り馳せ
逝く者は一に何ぞ速やかなる
中夜寝ぬる能わず
剣を撫して起ちて躑躅す
彼の孔聖の嘆きに感じ
此の年命のあわただしきを哀しむ

「文選」司馬彪の詩は、この句に悲嘆を読み取って作られた六朝の代表的な作品といえましょう。

さてまた、それとは正反対に、この句を希望の語ととる説があります。
宋儒は新注で、昼も夜も一刻たりとも停止することのない宇宙の活動が、この川の水によって示されている。その無限の持続、無限の発展の中に人間もまたいる、と解釈します。
朱子は、「学ぶ者の時時に省察して、毫髪もおこたり、断ゆることなきを欲する」と見、程子も、「君子自らつとめてやまず」とする、易の発現をこの句に読み取っているのです。]]>
        <![CDATA[結局、この二つの見解の違いは、それらの説の生まれた時代と精神を反映する、と吉川幸次郎は指摘します。人間は多くの制限を受け、時間の推移は人間を最大の不幸である死へと導く。これが、後漢から六朝にかけての人間観の主流であり、ここから悲嘆説が生まれた、としています。
それに対し、宋代の儒学は、悲観的な人間観を転換し、人は常に進歩の途上にある、と肯定的に捉えなおす。ここから、後代の希望的解釈が生まれてきた、と吉川は考察。また二説の違いを、「逝者」を「過ぎ行く者」と読むか、「すすむ者」と読むかにもよる、と付け加えています(『論語』朝日新聞社　昭和34年)。

この言葉を発した当時の孔子の状況から見ると、悲嘆説が当人の心情に寄り添うものかもしれませんが、いずれの説が是か否かという論議は、名言を“古の智慧”として現代の指針としていこうとする時、さほど重要ではないのかもしれません。


現代に目を転じると、分野を問わず孔子の“希望の言”ととらえた文脈が多いようです。

「河の流れも、人間の流れも同じである。時々刻々、流れている。流れ、流れている。長い流れの途中には、いろいろなことがある。併し、結局のところは流れ流れて行って、大海へ注ぐではないか。人間の流れも、また同じことであろう。親の代、子の代、孫の代と、次々に移り変わってゆくところも、川の流れと同じである。戦乱の時代もあれば、自然の大災害に傷めつけられる時もある。併し、人類の流れも、水の流れと同じように、いろいろな支流を併せ集め、次第に大きく成長し、やはり大海を目指して流れ行くに違いない。

川の流れが大海を目指すように、人間の、人類の流れも亦、大海を理想とする、大きい社会の出現を目指すに違いありません」
『孔子』井上靖　新潮社　平成元年

孔子を描く、井上靖最晩年の歴史小説では、孔子の最後の旅に同行した架空の弟子に、この句の“未来への希望”を訥々と語らせています。

孔子が川のほとりで観たのは「川の流れ」ではなく、未来永劫続いていく“時間”そのものに他なりません。結局、「悲嘆説」「希望説」とは、人間が己に与えられた有限の時間をポジティブにとるか、ネガティブにとるかの違いによるものではないでしょうか。

時間をビジネスそのものとする、中国の東方航空社長Liu氏は、「時間は、人間存在のポジティブなあり方である」と、孔子の句を引いて説明します。

「社長は時間について説明している。「時間」の「時」は日と寺から成り立ち，「間」は日と門から出来ている。日は太陽を表す。寺は中国語では接近する，近づくという意味をもっている。門は囲むという意味である。よって時間とは，太陽に近づき，太陽を囲むことであり，それは，時間を追い求め，時間を自分のものとするということである。だから，太陽が刻む時を自分のために最大限に利用しなければならない。さらに，社長は，「子在川上曰：逝者如斯夫，不舎昼夜」と論語を引用する。ある日，孔子が川上に立って言われた。「逝くものは斯くの如きか，昼夜を舎（お）かず」。時の流れは川の水のごとく，昼夜を区別せず流れていく。「時間は人間存在のポジティブなあり方である。時間は感覚，思考，行動のポジティブな内的覚醒（intrinsic awareness）である」と社長は語る。孔子の言葉はここまで読み取らなければならないのだ。そこには将来への明るい希望がある。私たちは，方丈記の中の「川の流れは絶えずして元の水にあらず」というような諸行無常と重ねて孔子の言葉をとらえがちである。しかし，孔子の言葉はあくまで現世でよりよく生きるための教えである。孔子曰く，「未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」。死のことを考えても始まらない。生を，よく生きることを求めなさい。そのために，時間があり，そのための時間である」
<a href="http://www.medicalfront.biz/webserial/001-21.html">『眠りと目覚めの間　麻酔科医ノート』外　須美夫ブログ</a>

“時間”は、人間の目に見えず、手でつかみとることのできない存在。それを“カタチ”として写し取り、残そうとしたのが、絵画や彫刻、音楽などの芸術であり、“意味”として理解、定義しようとしたのが、哲学、科学、文学などの学術でした。
しかし、今から二千五百年前、時間そのものと同化し、
「逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎かず」
と看破した始めての人類が、東洋の大河のほとりに、たった一人ぽつねんと小さな影を落していたのです。]]>
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    <title>言の葉庵講座初！1月「狂言」のクラス開講。</title>
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    <published>2011-12-09T12:36:45Z</published>
    <updated>2011-12-09T12:39:43Z</updated>
    
    <summary> 来たる1/17(火)、東急セミナーBE二子玉川校、 「能の秘密を解き明かす」講...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/resize0133.jpg"align="right">

来たる1/17(火)、東急セミナーBE二子玉川校、 「能の秘密を解き明かす」講座にて言の葉庵としてはじめて「狂言」をとりあげます。 

http://www.tokyu-be.jp/seminar/2011100005AH66601.html 

・室町期の狂言の名人「二人の槌大夫」 
・狂言の語源は 
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・狂言の特色 
・狂言の役柄と装束、面 
・和泉流、大蔵流、鷺流の歴史 
・現代狂言名人の名舞台 

ご興味ありましたらぜひご参加くださいね！]]>
        
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    <title>犬猿の仲</title>
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    <published>2011-11-02T11:31:12Z</published>
    <updated>2011-11-02T11:35:06Z</updated>
    
    <summary> 『久重日記　坤』　寛永十七年卯月十七日 　寛永十七年四月十七日のこと。古田織部...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/oribe01.jpg"align="right">

『久重日記　坤』　寛永十七年卯月十七日

　寛永十七年四月十七日のこと。古田織部は桑山左近とは長年犬猿の仲であった。ある時忠興公が、織部邸へ茶に参る。相客の谷出羽守に加え、春田又左衛門も召し連れた。そこで桑山左近へ、
「そなたも同道されよ」
　と誘う。左近は答える。
「織部殿とはしっくりいかぬ。ご同道はいたしかねる」
　と、なかなか同意せぬゆえ、忠興公は無理強いして、
「気が進まぬもわからぬではないが、たって一緒に参ろうではないか」
　といえば、左近もいう。
「その儀ならば、それがしも同道の由、前もって織部殿にお知らせ願いたい」]]>
        　三斎(忠興)公、「それには及ばず」と左近を無理に連れて参ったものだ。ところが着いてみれば、織部は「よういらっしゃった左近殿」というし、左近も「お迎えかたじけなし」、などと互いに平気な顔。

　さてこの時、織部は風炉灰にことの他手間取っていた。あまりに時間がかかり過ぎるので三斎公は、
「さてもさても手間のかかることよ。大方に置かれたならばよかろう」
　といった。織部の答えは、
「何としてもこのたびはご両人のご前ゆえ、難しゅうござって」
　というばかり。さて、炭を仕廻うに際し客衆が寄って拝見しようとすると、織部は勝手へ入り、障子を閉てた。三斎公は、
「さても見事な炭。風炉の内、このようにも作れるものかな。これでも難ありといえようか」
　と、左近へ振り返ると、
「さてもさても見事なることかな。まったく驚き申した。織部殿の数奇一段と上がり、ことの他立派な宗匠となられたものよ」
　と左近が答えると、障子の内で織部は、くつくつとふき出し、笑いはじめる。左近もつられて笑い、私も笑い、ついに全員大笑いしたものだ、とお話なさったという。

現代語訳(能文社 二００九)


※松屋久重は、戦国～江戸初期の重要な茶書『松屋会記』の編纂者。奈良の塗師、松屋当主。古田織部は、織部焼で高名な千利休、第一の弟子。利休亡き後、天下の宗匠として徳川将軍家の茶頭を任ずる。細川忠興、桑山左近は、ともに戦国武将であり、千利休門高弟である。相客の谷出羽守は、信長・秀吉に仕えた戦国期古兵者、丹波国山家藩初代藩主。春田又左衛門は細川家家臣。
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    <title>『葉隠』書名の由来の秘密。</title>
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    <published>2011-10-12T12:38:27Z</published>
    <updated>2011-10-12T12:40:09Z</updated>
    
    <summary> 言の葉庵、第一弾翻訳作品『葉隠　現代語全文完訳』発刊より、はや五年の歳月が流れ...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/hagakuretitle.jpg"align="right">

言の葉庵、第一弾翻訳作品『葉隠　現代語全文完訳』発刊より、はや五年の歳月が流れました。そもそも武士道を代表する、佐賀鍋島藩『葉隠』の書名は一体何に由来するのか。この問に対し、明解な答はこれまで得られませんでした。一般的には、以下のような諸説が唱えられ、「まあ。そんなところか…」とひとまず落ち着いていたのです。]]>
        <![CDATA[葉隠という語源は定かでない。緑豊かな佐賀城を護持する鍋島侍を象徴するという説、木の葉がくれの雑談であり、今でいう縁陰閑話をさすという説、また、西行『山家集』の中にある次の歌がその語流ではないかとする説がある。
「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ、しのびし人に逢う心地する」(西行)
「葉隠れに散りとどまれる花」に、中世の真の武士道があり「しのびし人」に耐え忍ぶ本当の葉隠精神があるものとしている。

　さてここで、日々進化するnetの情報を見てみましょう。現在、Wikipedia「佐賀城」では、以下のように説明されていますね。

佐賀城（さがじょう）は佐賀県佐賀市にあった日本の城。古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であった。
佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。“城が樹木の中に沈み込んで見える”ことや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。
慶長7年（1602年）本丸の改修を始めた。直茂の計画に則り、次の藩主鍋島勝茂が慶長16年（1611年）に完成させた。内堀の幅は80mにも及ぶ広壮なもので、5層の天守も建造された。

“城が樹木の中に沈み込んで見える”。これが『葉隠』書名の表向き、直接的な由来であることがわかりました。そして、ここで検討したいのが、なにゆえ樹木の中に自分自身が沈みこみ“見えない”ようにする必要があったのか、ということ。
それにはまず、『葉隠』本文の逸話を紹介しましょう。


佐賀城の普請が完成。
「直茂公をご案内するように」
とあったので、駕籠で出向いた。勝茂公はたっつけ袴の出で立ちで、城の設備を一通り一々講釈を加え、あちらこちらとご案内して回った。その後、直茂公がお伽の衆に、
「信濃殿は、城攻めの防備を、精を出し講釈していたが、腹切りの場を忘れてはいなかったか」
といったとのこと。

<a href="http://nobunsha.jp/book/post_35.html">『葉隠　現代語全文完訳』聞書三　八　(能文社　2006)</a>

　歴史ファン周知のことながら、天下分け目の合戦「関ヶ原の陣」に、あろうことか藩主鍋島勝茂は西軍石田三成に応じてしまう。あわてた父、直茂に呼び戻されたものの、この汚点は終生ぬぐい難く、江戸幕府三百年余の治世において佐賀鍋島藩は外様の名のもと、代々冷や飯を食い続けねばなりませんでした。
「信用できぬ輩」―。家康、秀忠の冷たい視線に、遠い肥前の地にあるとはいいながら、防備を最大課題としてその主城を構築したのは無論のこと。また、関ヶ原以前からの仇敵たる、強敵薩摩島津に備える意味もあったものと思われます。

「80mの内堀」―。まさに驚くべき万全の防御体制です。佐賀城は、まるで湖にぽっかりと浮かぶ、水滸伝梁山泊のごとき難攻不落の城構え。なんとしてもこの国を守り抜こうとする勝茂の決意のあらわれ。また、「腹切りの場を忘れてはいなかったか」と静かに観念する直茂の言葉は、どう転んでも勝ち目のない強敵との戦に、最後の一兵まで、もがき抜き、抗戦し続けようとする「葉隠侍」の不屈の魂を見る思いがします。
「隠れる」という行為は決して卑怯というものではなく、命よりも大切なものを、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで守り抜こうとする、金剛石のごとき意志のあらわれ。
「心頭滅却すれば火も亦た涼し」―。
恵林寺快川和尚の遺偈を彷彿とさせます。
武士道の“葉隠”は、こうして、中世日本文化の中心概念、“侘び”へとつながってくるのではないでしょうか。]]>
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    <title>名言名句　第三十二回　歎異抄　薬あればとて毒をこのむべからず。</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://nobunsha.jp/cgi/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=171" title="名言名句　第三十二回　歎異抄　薬あればとて毒をこのむべからず。" />
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    <published>2011-09-25T10:46:29Z</published>
    <updated>2011-09-26T09:32:12Z</updated>
    
    <summary>　No.49 薬あればとて毒をこのむべからず。 ～『歎異抄』第十三条　親鸞 『歎...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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    </author>
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        <![CDATA[<img align="left" src="http://nobunsha.jp/img/shinran03.jpg">　<span class="green">No.49</span>
薬あればとて毒をこのむべからず。
～『歎異抄』第十三条　親鸞


『歎異抄』にある、高名な親鸞のことば。もとは、親鸞が常陸の門弟にあてた手紙にあります。

「酔ひもさめぬさきになを酒をすすめ、毒もきえやらぬにいよいよ毒をすすめんがごとし。くすりあり、毒をこのめとさふらふらんことは、あるべくもさふらはずとぞおぼえ候。」
(慶長四年親鸞消息)

“薬”とは阿弥陀如来の誓願にもとづく親鸞の悪人正機説、“毒”は悪事、とりわけ悪人正機をたてにした“本願ぼこり”による造悪のことです。「悪人ほど救われると聖人は仰せだ。なればすすんで悪事をなさん」とする邪説を戒めたもの。ともあれ『歎異抄』本文をご紹介しましょう。

〔現代語訳〕

第十三条

一　阿弥陀様の本願、不思議の力に寄りかかって、悪を恐れぬことは、また「本願ぼこり」といって、往生が叶わぬ、とする説。これは本願を疑っており、善悪の宿業(しゅくごう)を心得ていません。良い心が起こるのも宿善がうながすゆえ、悪事がもよおされ為されるのも悪業のはからいゆえなのです。

　故親鸞聖人は、
「兎や羊の毛先についた塵のような罪も、宿業によらないものはありません」
　と、おっしゃいました。

　またある時聖人が、
「唯円房(ゆいえんぼう)は、私のいうことを信じますか」
　と、おっしゃったので、
「信じております」
　と、お答えしたところ、
「それでは、私のいうことに違(たが)うことはあるまいな」
　と、念をおされました。慎んでうけたまわりますと、
「それでは人を千人殺してほしい。しかればおまえの往生は決定(けつじょう)しましょう」
　と、おっしゃったのです。
「仰せではございますが、わたくしの器量では千人はおろか、ひとりの人も殺せようとはとても思えません」
「ならばなぜ、親鸞のいうことに違わない、といったのですか」
「これでわかるはずです。
なにごともわが心のままになるのであれば、往生のために千人殺せ、といわれればためらわずに殺せましょう。しかし、たったひとりでも、殺す業縁がなければ殺すことはできません。
　自らの良心に従って殺さないのではなく、また、殺すまい、と思っても百人、千人の人をも殺してしまうものなのです」
　と、おっしゃられたのは、私たちが自らの良心を良いと思い、悪心を悪いと思って、本願の不思議によって救われることを弁えていないからなのです。]]>
        　昔、間違った考えに取りつかれた人がいました。悪事を犯した人を救うのが本願であるからと、わざわざ好んで悪事をこしらえ、往生の業とすべきである、と説いたのです。
　このため様々な悪事が行われるようになり、伝え聞いた聖人が手紙で、
「薬があるからといって、好んで毒を飲んではなりません」
　と申し送られたのも、その邪説を取り除こうとされてのことで、必ずしも悪が往生を妨げるということではありませんでした。
戒律を守ることによってのみ、本願を信じるというのであれば、私たちはどうして生死を離れることなどできましょうか。このようなあさましい身であっても、本願を信じてこそ、それをほこり甘えることができるのです。
　だからといって、身に備わっていない悪業を、よもやつくることなどできましょうか。「海や川に網を仕掛け、釣りをして渡世する者や、野山に猪を狩り、鳥を獲って命をつなぐ人々。また商人や田畑を作って世を過ごす人も、ただ同じことなのです。しかるべき因縁に導かれたなら、人間はどのようなこともやってのけるもの」
と、聖人はおっしゃいました。

　しかし近頃、念仏者のふりをして、
「念仏は善人だけのもの」
　と、いってみたり、道場に貼り紙をして、
「これこれの行いをした者、道場に入るべからず」
　などという者がいます。これらは、ひとえに立派な仏弟子との外面をつくろい、心の内には嘘・偽りをもつ者でしょうか。
本願ぼこりで犯した罪も、宿業にうながされてなしたもの。されば善事も悪事も、行為の報いにうち任せ、本願に頼んでこそ、他力信仰なのです。『唯信抄(ゆいしんしょう)』にも、
「阿弥陀様にどれほどの力があると知って、罪深い身ゆえ救われ難いと思うのか」
　と、ありましょう。本願にほこる心のあるにつけ、他力を頼む信心も定まるものです。
　およそ悪業煩悩を断ち尽くした後に、本願を信じるというのなら、本願に甘える思いもないはず。煩悩がなくなればすなわち仏となって、弥陀の誓願も必要ないものとなってしまいます。
　「本願ぼこり」を戒める人々も、煩悩や不浄にまみれているはず。その身もまた、本願ぼこりなのではないでしょうか。どのような悪を「本願ぼこり」と呼び、どのような悪を「本願ぼこり」でないとするつもりなのですか。
　これは、かえって未熟な考えではありませんか。

『歎異抄』親鸞(唯円著)水野聡訳　PHPエディターズ・グループ　2008
http://nobunsha.jp/book/post_70.html


「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
http://nobunsha.jp/meigen/post_63.html
親鸞の教えは平易な語り口ながら、大胆に逆説を用いるため、ときに納め難い誤解、邪説を呼び起こしてしまう危険をはらんでいます。本条の“本願ぼこり”も、親鸞の教えを受けられなくなった関東の弟子たちを大混乱に陥れた信仰上の一大危機でした。教義の異端は、冒頭で指摘したとおりまず“造悪”としてあらわれ、さらに“偽善”の顔を借り、救いがたく進行していった、と〔歎異抄研究会〕では考察しています。

「第十三条は、「本願ぼこり」の人びとを批判している。「本願ぼこり」とは、悪事を犯したものをたすける本願があるのだから、意図的に悪事を犯そうとする人びとのことである。
　ところが、『歎異抄』著者の批判の焦点はそこにない。むしろ、「本願ぼこり」を批判している人びとにこそ焦点を当てている。「本願ぼこり」を「悪人」とし、「本願ぼこりを批判するひと」を「善人」と考えれば、「悪人」ではなく「善人」に批判の力点がある。これは私たちを戸惑わせる。なぜなら、私たちの発想が「善人」と同化していたことが炙り出されたからである。「善人の毒」のほうが「悪人の毒」以上に深刻だ、と『歎異抄』の著者は見ている。悪人の毒は目立つが、善人の毒は目立たない。毒は常に「善」を装って浸食するからである。(武田定光)」
(聖典の試訳『歎異抄』研究会　親鸞仏教センターHP)

偽善の仮面に隠された、恐るべき猛毒、それが“本願ぼこり”です。

「一室の行者のなかに信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄』といふべし」
『歎異抄』後序

親鸞の死後、邪見により聖人の正しい教えが歪められ、教団が瓦解してしまう危機を深く愁えた、唯円。まさに唯円をして『歎異抄』を執筆させた直接的な機縁は、この“本願ぼこり”にあったといえるかもしれません。事実、唯円は本篇中“本願ぼこり”を弾劾するこの第十三条にもっとも多くの紙幅をさいているのです。

「人千人殺してんや」

聖職者の口から出たとは、とうてい信じられないようなことばを親鸞は唯円に投げかけます。真意は善悪の業縁を説くことにあったにせよ、これを耳にした唯円はおそらく心臓が口から飛び出すほど驚いたに違いありません。なぜなら、親鸞に出会う前の彼は、殺生をこのむ極悪人であったとする伝承があるからです。唯円開基の報仏寺に、唯円の出自と回心について、次のような縁起が伝えられています。

「報仏寺には、唯円房は北条修理之介平芳将の次男、北条平次郎則義とする伝承があります。

平次郎は仏法の道理を知らず、常に殺生を好む放逸無懺の悪人でした。しかし妻は夫と違い親鸞聖人の御教化を受け信者となり、折々夫の目を盗んで稲田の草庵に参詣していました。あるとき聖人に夫平次郎は仏法誹謗の者なので、我が家では一遍の念仏さえもできないと涙にむせび嘆きました。聖人はその深い志に感じ入られ、十字名号を書かれ女房に与えられました。女房は歓びの涙を流し、御名号を押し頂き我が家に帰り、その名号を手箱の中に隠し、夫の不在の折を窺って香花と灯明を供えていました。ある時夫の不在の時に奥の間に名号を広げ、一心に念仏を称えていました。
平次郎が帰ってきて家の中の様子を伺うと、女房が何か書いたものに向かい読んでいるのを見て、夫は他の男の恋文と思い込み、戸を開けて家に入ります。女房は驚きすばやく名号を懐の中にしまい出迎えました。平次郎は今隠したものは何か問い詰め懐に手を入れようとしますが、女房が逃げ出たため、夫は逆上し腰に差していた山刀を抜いて斬りかけ殺してしまいました。
平次郎は女房の死骸を竹やぶに埋め、家に戻りますが、不思議に家の中より女房が出迎えたので、平次郎は今までのことを女房に語りました。女房が懐を改めると名号がありません。二人で共に藪の中の埋めたところを掘り返してみると死骸はなく、代わりに帰命尽十方無碍光如来の名号が帰命の二字のところから袈裟懸けに切られており、血潮に染められていました。女房は座り込み天を仰ぎ、お慈悲のご恩を喜び、お念仏を称えました。平次郎も、涙を流し膝をつき伏し拝み南無阿弥陀仏と称え、持っていた刀で髻を切り落とし、このような尊い名号を刀にかけるとは勿体無い、何とか免じて欲しいと涙が止りませんでした。それから夫婦で稲田に参詣して、ことの次第を申し上げると、そもそもこの名号は逆悪の衆生を捨てずに光明の中に接したまう徳号なのだからそのようなことになったのであろう。これは悪人往生の証拠の名号であるから大切にしなさいと御教化くださり、悪人平次郎は改心しお弟子となったと伝えています。」
『報仏寺略縁起』築地本願寺HP

「人千人殺してんや」と親鸞に命ぜられたものの、「一人もこの身の器量にては殺しつべしともおぼえずさふらふ」と答えた唯円。しかし実際は、女房を殺めた過去をもつ身でした。法力により、幸い女房は死ななかったにせよ。わが身の業縁は、人目に立つ“悪人の毒”。そして今、真の敵、心に虚偽をかかえながら立派な仏弟子の外面をとりつくろう“善人の毒”と戦おうとするのです。師、親鸞のことばこそ、この毒を消し去る唯一の“薬”。
こうして唯円は弥陀本願の良医となって、千年後の世にも人を救う永遠の処方箋『歎異抄』を私たちに伝えてくれました。
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    <title>日本文化カルチャー講座10月期新クラスのご案内です。</title>
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    <published>2011-09-04T00:28:27Z</published>
    <updated>2011-09-06T08:27:22Z</updated>
    
    <summary> 早いもので、全国カルチャーセンター【言の葉庵】秋の新講座が10月より一斉にスタ...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/culture1110.jpg"align="right">

早いもので、全国カルチャーセンター【言の葉庵】秋の新講座が10月より一斉にスタートとなります。東京～川崎～名古屋のカルチャースクールで、能楽史・茶道史中心に各テーマで実施。
“学びの秋”に生涯楽しめる趣味、興味ある分野を見つけてみませんか。

<a href="http://bit.ly/awi1Ck">【言の葉庵】2011年10月期全国講座一覧</a>]]>
        〈川崎・よみうりカルチャー川崎〉
「能の名人芸と名舞台」
室町から現代までの名演を文献・映像により再現・鑑賞。

第2水曜日13:00～14:30、受講料：6か月6回13,860円、設備費：756円
よみうりカルチャー川崎　電話044-221-5590
■名人の至芸は、いつの時代にも魂がふるえるほどの感動を与えてくれます。当講座では能の名役者が演じた伝説の舞台を、映像・芸談・能評などを通してくわしく解説します。数々の名演技と名舞台を再現・鑑賞し、その至芸の秘密に迫ります。「鉢木」「弱法師」「船弁慶」等のビデオ鑑賞あり。2011年10月よりスタート、全6回コース。

〈二子玉川・東急セミナーBE〉
講座名：「能の秘密を解き明かす」
～能を支えるワキ・子方・狂言・囃子の魅力

曜日・時間第1火曜日13:00～14:30　回数： 全6回　受講料： 16,800円(会員) 
東急セミナーBE　TEL：03-3477-6277(渋谷校)
■オペラ＋バレエ＋ミュージカル。世界に例のない総合舞台芸術「能」の各役にスポットライトをあてた、初心者のための能鑑賞講座です。シテ～ワキ～子方～狂言…能の配役の秘密と、その絶大な演劇効果を初めて明かします。人間国宝・名役者のビデオ映像資料も鑑賞。10月から始まる6ヶ月講座。

〈名古屋栄・中日文化センター〉

A.～花と幽玄の秘伝書～『風姿花伝』を読む
・開講日：毎月第１木曜日午後1時～2時30分
◆『風姿花伝』は世阿弥が著した日本最古の能楽理論書です。◆日本人だけが美しいと感じるものは何。また、それはなぜでしょうか。「花」と「幽玄」をキーワードに、日本人にとっての美を探究します。◆ 風姿花伝の第一章「年来稽古條々」から最終章「別紙口伝」までの主な段落を音読、味読し、初心の方にもわかりやすく、やさしく解説していきます。◆

B.千利休わび茶の聖典『南方録』を読む
・開講日：毎月第１木曜日午後3時30分～5時
家は洩らぬほど、食事は飢えぬほどにて足ることなり…。千利休、わび茶の心を伝える秘伝書、南方録。古来より数多い茶書の中でも、最も重要視されてきた茶道の聖典とよばれる名著「南方録」を講読する入門講座です。戦国期の武将や名茶人のエピソードなども交えながら、初級者向けにくわしくやさしく解説。

※栄中日文化センターA～B共通
受講料：6ヵ月分13,860円
※新規受講は別途入会金3,675円が必要となります。
問合／申込：名古屋・栄中日文化センター　電話0120-53-8164

〈東京中央区・銀座おとな塾産経学園〉
「千利休と侘び茶の世界」―和敬清寂。『南方録』を読む
開講日：毎月第三木曜日10：30-12：00　　2011年10月～2012年3月（全6回コース）
受講料： 3150円／一回
銀座おとな塾　Tel 03-5250-0719 受付時間10:00～20:00
■千利休、わび茶の心を伝える奥伝書、『南方録』。古来より数多い茶書の中でも、最も重要視されてきた茶道の聖典とよばれる名著です。当講座では、南方録全七編から、名文・名段落を選んで、受講生とともに音読。今期は「墨引」の段落から読み進めます。

〈池袋コミュニティ・カレッジ(池袋西武)〉
定期講座「やさしく学ぶ、茶道の歴史」
―東山文化、村田珠光、利休の侘び茶から、織部の大名茶まで

日時：毎月第四金曜日全6回15：00-16：30
受講料：6ヶ月会員15,750円
問合／申込：池袋コミュニティ・カレッジ〈池袋西武イルムス館8・9F〉
電話03-5949-5487
■日本人の心、「一期一会」「和敬清寂」…。茶の湯は中世以来の日本文化と精神を総合した、生活哲学です。茶の歴史・意義・思想を、千利休の足跡をたどりながら、やさしく総合的に学ぶ入門コースです。全6回
◆茶の心”侘び”とは何か？室町～戦国期の茶人の心をたどります。
◆茶道史を代表する名著「南方録」「山上宗二記」を読みます。
◆名物道具の由来と茶室・茶庭の成り立ち等をくわしく解説。

〈東京大田区・蒲田産経学園〉
花と幽玄の秘伝書『風姿花伝』を読む。～能楽入門講座

2011年10月～2012年3月全6回
開講日：第2週水曜日10:30-12:00
受講料：(3ヵ月) 8,505円　施設維持費471円　教材費1,575円
蒲田産経学園　TEL 03-3733-1585
■千年にひとりといわれる天才能役者、世阿弥。六百年間一子相伝のみにて封印されてきた、その秘伝書「風姿花伝」を読み解きます。日本人だけが「美しい」と感じるものは何か。また、それはなぜか…。「花」と「幽玄」をキーワードに、磨き抜かれた達人の知恵と感性から、美の本質を学びましょう。今期は風姿花伝「第三問答條々」から読み進めます。


〈新橋・寺子屋〉※【言の葉庵】オリジナル講座

■講座1：はじめて触れる、能と世阿弥の世界
毎月第三土曜日13:00～14:30
能は、簡単なルールを知るだけで、俄然と面白さがわかる。知れば知るほど奥深い世界が広がる、不思議な芸能です。世阿弥と能の歴史、実技や用語のやさしい解説、具体的な舞台鑑賞ポイント等を初心者の目線に立って、一つずつ丁寧にご案内していきます。10月から始まる6ヶ月講座。

■講座2：茶道の聖典『南方録』入門
毎月第三土曜日15:00～16:30
当講座では、南方録「覚書」「台子」など全編から、名段落を選んで受講生とともに音読。利休茶の骨法を茶人のエピソード等も交えながら、初級者向けにくわしくやさしく解説していきます。中世茶道史を身近に学ぶ入門講座です。10月から始まる6ヶ月講座。

■寺子屋講座1.2.共通
日程：2011年10月～2012年3月(月一回・全6回コース)
原則として、毎月第三土曜日
場所：新橋生涯教育センターバルーン
受講料：各コース3回分／6,000円、6回分／11,000円
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    <title>10月期「新・寺子屋」いよいよ始まります！</title>
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    <published>2011-08-20T09:44:13Z</published>
    <updated>2011-08-20T09:52:51Z</updated>
    
    <summary> この秋、「寺子屋」が装いも新たに、さらに内容を充実させて再スタートします。講座...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/201110terakoya.jpg"align="right">

この秋、「寺子屋」が装いも新たに、さらに内容を充実させて再スタートします。講座は茶道史と能楽史を学ぶ入門コース2講座。全6回コースで、能と茶道の基本と概略をわかりやすく具体的にレクチャーいたします。また、能と茶だけにとどまらず、歴史を縦軸、文化を横軸として、仏教(禅)・歌(和歌、連歌、俳諧)・日本建築と日本庭園・武士道・美術など中世日本文化のトピックスをピンポイントで織り交ぜながら、総合的に学んでいこうとする試みです。

<a href="http://bit.ly/oEn0nx">2011年10月期≪新・寺子屋≫　実施要領詳細</a>]]>
        <![CDATA[講座：
<strong>1.はじめて触れる、能と世阿弥の世界</strong>
第一回　10/15：能の歴史と舞台の秘密。基本知識１
第二回　11/19：能役者と演技・能の物語。基本知識２
第三回　12/17：世阿弥と『風姿花伝』
第四回　1/21：能の実技1。謡・舞・囃子(ビデオ)
第五回　2/18：能の実技2。構成・演能様式・見どころ(ビデオ)
第六回　3/17：能の名曲紹介『隅田川』(ビデオ)

<strong>2.茶道の聖典『南方録』入門</strong>
第一回　10/15：「覚書」侘びと茶の湯
第二回　11/19：「棚」秘伝の紹鴎袋棚
第三回　12/17：「書院」東山文化と茶
第四回　1/21：「台子」利休伝授の切紙集
第五回　2/18：「墨引」幻の茶法“曲尺割り”
第六回　3/17：「滅後」蘇る利休の茶

※各コースカリキュラム・詳細は上URL参照。

日程：2011年10月～2012年3月(月一回・全6回コース)
原則として、毎月第三土曜日
場所：新橋　生涯教育センター　バルーン
※教室は当日1Fロビー掲示板にてご確認ください。
定員：各コース15名
受講料：各コース　3回分／6,000円、6回分／11,000円
※受講料は初回受講時にお納めください。
※講座プリント・資料代等を含みます。岩波文庫等、副読本は各自任意でお求め下さい。
申込み：下記に必要項目をもれなくご記入の上、9月20日(火)までに、FAX(044-844-2744)または、メール(info@nobunsha.jp)にて、能文社あてお申し込みください。]]>
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    <title>新刊「ものの見方が変わる。千利休の名言」発売！</title>
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    <published>2011-07-14T01:50:25Z</published>
    <updated>2011-07-15T11:29:49Z</updated>
    
    <summary> 2008年『奥の細道』以来、3年ぶりの言の葉ブック新発売です。しかも、初の全文...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nobunsha.jp/">
        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/rikyumeigencover.jpg"align="right">

2008年『奥の細道』以来、3年ぶりの言の葉ブック新発売です。しかも、初の全文書き下ろし作品となりました。

<a href="http://nobunsha.jp/book/post_116.html">『ものの見方が変わる。千利休の名言』水野聡 著</a>
形式:オンデマンド・ブック版
本体価格：2,200円(税込価格2,310円)
ISBN978-4-9904058-4-7

本著は、千利休の名言集に、「利休の目がみつめたもの」、「千利休由緒書　現代語訳」の二篇をあわせた、利休茶の美学入門書です。
]]>
        「筆者は平成十七年より、日本文化の偉人の名言・名句を、【言の葉庵】ホームページ、メールマガジンにて世に発信を続けてきました。それらのコンテンツをもとに、このたび改めて全文書き下ろしにて、利休が現代日本に遺した美のメッセージをご紹介しようと思います。
　世にいう名言・金言とは、時代や世相の移り変わりに淘汰されず、永く人々に深い知恵と、生き抜く勇気を与え続けてくれるもの。千年後の人にも、「人とは何か」「生きることの意味」を鋭く問いかけてくる、かけがえのない言葉の遺産なのです。

　一介の町人にして、信長、秀吉等時代の英傑とともにしばしばその名が取り上げられる、千利休。茶の湯の祖、茶聖などという祭り上げられた肩書きよりも、今日の日本文化全体に根本的な価値の大転回をもたらした「美の改革者」という呼び名こそ、もっともふさわしいように思えてなりません。
　長谷川等伯が描く、利休壮年の画。そのまなざしは、剣のように鋭く容赦がない。この目が選んだ茶道具は、一代の名物としてとてつもない価値を与えられました。時には一城にも匹敵する価をもって、諸大名・分限者が争って入手しようとしたと伝えます。そして、「選ぶ」という行為の裏には、その何百倍、何千倍もの「捨てる」がある。利休の「選ぶ」「捨てる」の美の基準は、どこから生まれてきたものでしょうか」
(本作品　まえがきより)


・購入ご希望の方は、最寄り書店にてご注文ください。または、当ホームページへ直接ご注文いただけます。下記をご参照ください。


【弊社直販ご注文のご案内】

1.言の葉庵HPトップページの「お問合わせ」より、メールにてお申込みください。
2.メールの件名は「購入」と記入。
3.メール本文には、
「・書名　・ご注文冊数　・ご氏名　・ご住所(商品お届け先)　・お電話番号(または携帯)」
をもれなくご記入の上送信してください。
4.メール送信と同時に(前後してもかまいません)、〔1〕の商品購入代金を〔2〕の弊社口座あて振込み入金お願いします。メールお申込人と振込み人の名義が異なる場合はメールにてお知らせください。

〔1〕商品購入代金
・1冊購入の場合：2,390円(商品代金2,310円＋送料80円)
・2冊購入の場合：4,780円(商品代金2,310円×2＋送料160円)
・3冊以上の場合：2,310円×冊数(送料無料となります)

※能文社発行の他の商品(葉隠／南方録／山上宗二記／奥の細道)と組み合わせてもご注文いただけます。メールにてご希望の商品と冊数をお知らせください。折り返し、送料・代金をお知らせします。合計商品代金が5,000円以上の場合は送料無料となります。

〔2〕弊社口座
・三井住友銀行　溝ノ口支店
　　(普通)7107571 ノウブンシヤ　ミズノ　サトシ
・郵便振替　川崎溝ノ口郵便局
　　00230-6-42595　(加入者名)能文社
※まことに恐れ入りますが、振り込み手数料はお客様にてご負担願います。

5.入金が確認でき次第、すみやかにお申込みの住所宛、商品を発送いたします。発送時に「商品発送のお知らせ」メールをお送りします。
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    <title>千利休の名言</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nobunsha.jp/book/post_116.html" />
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    <published>2011-07-14T01:37:16Z</published>
    <updated>2011-07-21T11:18:51Z</updated>
    
    <summary>ものの見方が変わる。千利休の名言 水野聡　著 ●形式:オンデマンド・ブック版 本...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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    </author>
            <category term="book" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nobunsha.jp/">
        <![CDATA[<img align="right" alt="rikyumeigencover.jpg" src="http://nobunsha.jp/img/rikyumeigencover.jpg" width="72" height="100" />ものの見方が変わる。千利休の名言
水野聡　著
●形式:オンデマンド・ブック版
本体価格：2,200円(税込価格2,310円)

判型:A5版　全114ページ
発売日：2011年7月15日
出版社:能文社
ISBN978-4-9904058-4-7
<a href="http://nobunsha.jp/tachiyomi/rikyumeigen%20t.pdf"><img src="http://nobunsha.jp/img/tachi.gif"></a>
<a href="http://dp20101654.lolipop.jp/img/bookpictures.pdf">【言の葉庵】書籍画像一覧</a>

　本著は、千利休の名言集に、「利休の目がみつめたもの」、「千利休由緒書　現代語訳」の付篇二篇をあわせた、利休茶の美学入門書です。


‐目次‐

まえがき　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
千利休の名言　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　家は洩らぬほど、食事は飢えぬほどにてたる事なり　
　　かなうはよし、かないたがるは悪しし　　　　　　　
　　夏は涼しきように、冬は暖かなるように　　　　　　
　　一期一会　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　侘びの小座敷は、すべて足りぬことがよい　　　　　
　　茶禅一味　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　無芸であること、一芸となる　　　　　　　　　　　
　　心の師とはなれ、心を師とせざれ　　　　　　　　　
　　和漢のさかいをまぎらかす　　　　　　　　　　　　
利休の目がみつめたもの。―目利きと侘びとは　　　　　
『千利休由緒書』　現代語訳]]>
        -本書の特徴-

●名言を一目で理解できる、わかりやすいページ構成。本文1ページに【名言】とその【意味】。さらに【解説】と【出典】本文を付しました。
●千利休・村田珠光・武野紹鴎ら日本の茶道を創始・大成した偉大な茶の湯者の“数奇”をその名言からたどります。
●遊びごとの茶ではなく、禅を精神的なよりどころとした茶の湯先達の潔い生き方を、味わい深い至言を道しるべとして振り返り、学びます。
●「南方録」「山上宗二記」「茶話指月集」「長闇堂記」「禅茶録」「珠光茶道秘伝書」などの代表的茶書から、名言の本文をご紹介。
●関連分野の中世芸道書・歌書・史書からも、豊富な実例・記述を引用、参照しました。
●激動の戦国時代を茶杓一本で戦い抜き、権力に決して屈することのなかった茶人たち。その強い意志の力と、今日の日本文化の根幹を築いた独自の美意識を学びとります。


-付篇二篇-

〔利休の目がみつめたもの。―目利きと侘びとは〕

目利き、侘び、数奇…。中世の茶人たちが打ち立てた独自の美学は、今日芸術・芸道分野はいうまでもなく、日本人の生活文化のあらゆる局面において、美の基準となり、大きな影響を与えました。
日本人のみが繊細に感じ取る「不足の美」「空白の美」「余情」。利休・珠光・紹鴎らの数奇の足跡に光を当て、“目利き”と“侘び”という概念が生まれてきた背景を多くの実例から通覧します。

〔千利休由緒書　現代語訳〕

江戸時代初期、紀州徳川家の要請により、表千家四世江岑宗左が語った、千家の由来書。当時存命の元伯宗旦に、宗左が直接確認しながら作成した、歴史的に信頼性の高い利休系譜史料とされています。
室町将軍足利義政の同朋衆であった、利休の祖父田中千阿弥。利休子息、少庵・道安。利休の師、武野紹鴎、村田珠光…。利休をめぐる人々の経歴と事跡が、くわしく解明されます。
天正十九年二月、大徳寺山門の木像が原因となり、秀吉より死を賜った利休。その死への過程と賜死の真相が、現場に立ち会った関係者の口から生々しく語られます。
茶道書初、全文現代語訳にて公開。


・購入ご希望の方は、最寄り書店にてご注文ください。または、当ホームページへ直接ご注文いただけます。下記をご参照ください。


【弊社直販ご注文のご案内】

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をもれなくご記入の上送信してください。
4.メール送信と同時に(前後してもかまいません)、〔1〕の商品購入代金を〔2〕の弊社口座あて振込み入金お願いします。メールお申込人と振込み人の名義が異なる場合はメールにてお知らせください。

〔1〕商品購入代金
・1冊購入の場合：2,390円(商品代金2,310円＋送料80円)
・2冊購入の場合：4,780円(商品代金2,310円×2＋送料160円)
・3冊以上の場合：2,310円×冊数(送料無料となります)

※能文社発行の他の商品(葉隠／南方録／山上宗二記／奥の細道)と組み合わせてもご注文いただけます。メールにてご希望の商品と冊数をお知らせください。折り返し、送料・代金をお知らせします。合計商品代金が5,000円以上の場合は送料無料となります。

〔2〕弊社口座
・三井住友銀行　溝ノ口支店
　　(普通)7107571 ノウブンシヤ　ミズノ　サトシ
・郵便振替　川崎溝ノ口郵便局
　　00230-6-42595　(加入者名)能文社
※まことに恐れ入りますが、振り込み手数料はお客様にてご負担願います。

5.入金が確認でき次第、すみやかにお申込みの住所宛、商品を発送いたします。発送時に「商品発送のお知らせ」メールをお送りします。
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    <title>8月「寺子屋　無料公開講座」開講！</title>
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    <published>2011-07-09T01:45:04Z</published>
    <updated>2011-07-09T01:58:54Z</updated>
    
    <summary> 日本文化と古典を学ぶ、有志サークル「寺子屋素読ノ会」。今回、一般の方に向けて、...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/muryoterakoya.jpg"align="right">

日本文化と古典を学ぶ、有志サークル「寺子屋素読ノ会」。今回、一般の方に向けて、一日“無料公開講座”を特別に開講いたします。講座は、茶道史と能楽史の2講座。日本文化にご興味のある方ならどなたでも、自由にご参加いただけます。この機会に、“大人の寺子屋”へどうぞお気軽にご参加ください。]]>
        <![CDATA[<a href="http://bit.ly/oEn0nx">2011年8月≪寺子屋　無料公開講座≫</a>
日程：2011年8月20日(土)
場所：<a href="http://bit.ly/jKhrMO">新橋　生涯教育センター　バルーン　2F 201学習室</a>
講座1：「世阿弥と能入門」13:00～14:30
講座2：「千利休と茶の湯の歴史」15:00～16:30
講師：水野　聡　(能文社／言の葉庵主宰)
参加資格：参加費・受講料無料。どなたでもご参加いただけます。お申込、ご予約は不要。
定員：各回15名]]>
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    <title>『千利休由緒書』現代語訳</title>
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    <published>2011-06-12T12:47:56Z</published>
    <updated>2011-06-12T13:57:55Z</updated>
    
    <summary> 千家所蔵の茶道史史料のひとつ、『千利休由緒書』。江戸初期、紀州徳川家による徳川...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/rikyu01.jpg"align="right">

千家所蔵の茶道史史料のひとつ、『千利休由緒書』。江戸初期、紀州徳川家による徳川家康年譜作成事業に伴い、千家系譜を作成。同藩儒臣により、表千家四世江岑宗左逢源斎へ直接下問、その内容を記録させたものと伝えます。当時元伯宗旦は高齢にて存命。宗左は不明部分を随時、父宗旦に問い合わせながら答えました。
利休経歴と系譜について、生前の利休を直接知る人々から聞き合わせた『千利休由緒書』。茶道史史料としての信憑性は、数ある利休関係茶書の中で高く評価されています。]]>
        本書内容は、まず利休の系譜。足利義政の同朋衆であったとされる、利休祖父田中千阿弥から、茶の湯の師、村田珠光、武野紹鴎の足跡にも及びます。筆録者より質問が集中した、利休賜死の真相と経過については当然多くの紙幅が割かれることに。利休と秀吉の確執、大徳寺山門木像事件の経緯、切腹当日の様子、少庵、道安の処置。そして秀吉の死後はじめて明かされた、利休娘の聚楽第奉公のいきさつ。利休をめぐる多くの歴史の真実が、浮き彫りとなる好資料といえましょう。

言の葉庵では『千利休由緒書』を歴史ファン、一般の方に、もっと身近に触れていただこうと、読みやすい直訳にてお届けしました。今回、「信長・秀吉・家康と利休」「天正十九年、利休賜死にいたる過程」「利休娘の聚楽第奉公」の三つの段落をご紹介しましょう。



『千利休由緒書』　現代語訳抜粋版　水野聡訳　2011年6月


紀州徳川藩茶堂、江岑宗左談。同藩臣李一陽、宇佐美彦四郎筆録。承応二年編、寛文六年編


(質問)
利休は、いつ頃信長公に召しだされたのか。

　以下、宗左の返答。当時堺では、地元の茶人、今井宗久(菜屋)、津田宗及(天王寺屋)二名の茶名が高かったゆえ、信長公より各々三千石が下されていた。宗久は利休と親友であったため(利休は紹鴎の弟子。宗久は紹鴎の婿であったため親友となった)、利休を信長公に推薦する。利休は安土城に召され、茶を差し上げたが、ことのほかすぐれた点前であったゆえ、即座に三千石をもって召しだされることとなる。その後、安土へ詰め、毎度の茶の湯と茶堂を命ぜられ、並ぶもののない出世を遂げたのである。
　天正六年信長公は上洛。そのまま堺へ赴き、宗久、宗及、道叱宅にて茶会を開かれたが、その折、利休宅へも立ち寄られ茶を召し上がられたという。信長公が亡くなられた後は、秀吉公に召し出され、引き続き天下の茶堂としてご奉公することとなる。

　天正十二年春、秀吉公と家康様の間で合戦となった。秀吉公は不利であったため、自ら家康様の妹婿となって和談をすすめた。にもかかわらず家康様は上洛しようとなされぬゆえ、大政所様を岡崎へ人質として差し出されたのである。
　これにより、ようやく家康様は上洛。新町通三条猪熊の南、中島清延宅に到着された。これを聞いた秀吉公は早馬にて一行の旅宿、茶屋四郎次郎(訳者注　中島清延のこと)屋敷へ駆けつける。ここに家康様との対面がなったのである。この時、利休は棗の茶入を襟にかけ、秀吉公につき従う。家康様へ、茶弁当にて点前し、茶を一服差し上げた。秀吉公が、
「徳川殿。この坊主を知っておられるか」
　と話しかけられた。家康様は、
「いずれかで見かけたような」
　とのご返答。秀吉公、
「この者は千宗易と申して、今の天下の名人です」
　家康様、
「なるほど。安土城で度々見かけたゆえ見覚えていました」
　と仰られた。秀吉公は、
「昨年、閏八月より聚楽第工事を始めました。残念ながらいまだ完成しておりませんので、大坂城にて貴殿を歓待いたしたい。私は明日大坂へ参りますので、家康殿もぜひご一緒に」
　と誘い、二人で大坂へ出向いたのである。
　さっそく大坂城天守にて利休を亭主として茶会が開かれた。秀吉公も客となって、家康様、織田常真 (信雄)様同座にて、利休が茶を点てたという。その場で秀吉公は白雲の大壺と不動国行の太刀を引き出物として家康様に献じる。このことがあってより、家康様の御前へ利休は召されるようになり、ねんごろな間柄となったのである。


(質問)
利休賜死にいたる過程はいかようなものか

　宗左の返答は以下。大徳寺山門を再興したことに端を発する咎である。大徳寺山門は、応仁の乱以来、破壊されたままこれを立て直す人もなかった。連歌師島田宗長が再興に取り掛かったものの資金不足により門が出来上がったばかり。上の閣を欠いていたため、利休が作事を引き継ぎ、門の上に閣を建てたのである。額を掲げ、己の木像を造らせ閣上に設置させた。像には頭巾を被らせ、尻切雪駄を履かせた。このように天下に傑出し、無双の出世を遂げたため、讒言する輩もある。これらを耳にし秀吉公は機嫌を損ねたのであろう。
竜宝寺の山門は帝も行幸なされ、院も御幸、摂家・清華家の尊貴な方々、みな通られる門である。その門上にわが木像に草履を履かせ据え置くとは無礼千万、との咎めによって、天正十八年霜月に利休を勘当。翌十九年正月十三日堺へ追い下され、閉門が命ぜられた。

　加賀大納言前田利家卿より内々に、
「大政所様、北政所様に助力を仰ぎ、詫びをお入れすれば許されるであろう」
　と申し入れがある。利休は、
「天下に名の知られたわれらが、命惜しさに女性方に泣きつくなど、無念の極み。たとえ命を落とそうともいたしかたございませぬ」
　とお断り申し上げた。

　二月二十六日、秀吉の命により帰京。葭屋町の自邸に入る。そうしたところ、利休弟子の諸大名が身柄を奪回せんとの噂が立つ。秀吉公は上杉景勝に命じ、侍大将三人、足軽大将三人に率いられた六組、総勢三千人の軍勢により利休屋敷をひしひしと取り固めて両日厳しく警固させたと伝える。
　同月二十八日、尼子三郎左衛門、安威摂津守、蒔田淡路守を検使に迎え、利休は切腹して果てた。辞世の頌(しょう)、和歌を別紙に書き留め宇佐美彦四郎に渡した。


・秀頼公の小姓、古田九郎八直談の十市縫殿助(といちぬいどのすけ)物語

　天正十七年二月、秀吉公は東山近辺へ鷹狩に出かけられた。黒谷吉問(田か)近くで、手に鷹を据え徒歩で通る道すがら、畑の中に花見帰りらしい、三十歳ばかりの女房を見かける。乗り物を供にもたせ、幼児を三人連れ、下人男女十人ばかりを従えている。先払いの木下半助が「上様の御成りである。脇へ控えよ」と告げたため、かの花見一行は柳陰にてつくばい控えていた。
　秀吉公が側を通りながら見てみると、主人とおぼしき女房は器量が類稀なほどすぐれ、年も三十、女盛りの様子。そこで供の小姓を使いに遣り、
「何者の妻女であるか」
と聞かせると
「千利休娘、万代屋宗安の後家でございます」
　と答えた。

　聚楽第に戻った秀吉公は、寵愛する尼、幸蔵司(こうぞうす)を呼び、かの女房へと書状を届けさせた。
「聚楽第へご奉公にお出でなさい」
　との内意。女房は、
「幼少の子等が大勢おりますので、ご奉公には参れません。どうかお許しください」
　と上意には応じなかった。
　秀吉公は徳善院 (前田玄以)を使いとして、父利休へ「娘を奉公させよ」と命じさせた。利休は、
「娘をご奉公に差し出したならば、きっと人に、利休めは娘のおかげで出世した、となじられましょう。そのようなことにでもなれば、これまでの佳名もみな水に流れてしまう。思いも寄らぬことでございます」
　と強く要求をはねつけたのである。秀吉公よりその後三度まで命ぜられたにもかかわらず、利休は頑として受け入れなかった。そのため秀吉公は、はなはだ利休を怨むようになったのである。
　しかしこれしきのことで罰しては、世間の目もいかが、としばし目をつむり、
「利休の罪を待ち、その折誅伐してくれよう」
　と思っていた。まさにこうした時、大徳寺山門の件が耳に入り、ついに利休は誅伐されたのである。

　以上は、古田九郎八の直談を長曽我部盛親方にて十市縫殿助が聞いたものである。大坂城落城後に、十市縫殿助が語ったところによる。九郎八は古田織部の嫡子、秀頼公の小姓組であった。
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    <title>東北大地震。芭蕉の祈り～松島讃</title>
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    <published>2011-03-25T23:06:45Z</published>
    <updated>2011-03-25T23:09:17Z</updated>
    
    <summary> 東北地方太平洋沖地震により、尊い命を落とされた多くの皆様のご冥福を心よりお祈り...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/matsushima san.jpg"align="right">

東北地方太平洋沖地震により、尊い命を落とされた多くの皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。また、いまだ安否不明の方々、被災され家にも戻れず不自由な避難所暮らしを強いられる皆様の筆舌尽くし難い苦難を思うと胸がはりさけそうです。東北の皆様にとって一日も早く、以前の幸せな暮らしが取り戻せる日が来るように心よりお祈り申し上げます。

東北を代表する日本の名勝、松島。江戸元禄年間、俳聖松尾芭蕉も訪れ、その眺望の余りの見事さに言葉の達人をして一句も句を詠ませなかったというほどの絶景の地です。]]>
        <![CDATA[今回の大地震では沿岸の多くの地域が甚大な被害を被りました。が、幸いなことに、松島はほとんどその災いを逃れえたという。3月17日付読売新聞記事「松島が守ってくれた…対岸の町、死者１人」より、その概略をご紹介しましょう。

「このたびの巨大地震により、日本三景の一つ、松島も大津波に見舞われた」
「調査によると、島の一部が崩落し、島と島を結ぶ橋が壊れたという。しかし、松島町の死者は、２２日午後６時現在、１人にとどまっている。隣の東松島市の犠牲者は６５０人。住民は『島が津波から守ってくれた』と感謝。松島の従来の美しい景観を取り戻そうと、がれきの撤去に取り組み、再生に動き出した。

松島は、津波で甚大な被害を受けた三陸沿岸地域と比べると被害はすこぶる少ない。湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたためとみられる。松冨英夫　秋田大教授は、
『津波の一部は島にあたって反射する。はね返った分、陸に押し寄せる波のエネルギーは弱まり、これまでの津波と同様、今回も津波による被害を減らしたと考えられる』
と推測する。松島のある酒店経営者は、
『島が守ってくれた』
と感謝している」
<a href="http://bit.ly/gdv4Nk">(2011年3月23日07時48分  YOMIURI ONLINE　読売新聞 ）</a>

　松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとし
(『奥の細道』象潟　松尾芭蕉)

　いにしえ、松島と並ぶみちのくの景勝として旅人の心を奪った象潟は、江戸期の大地震による海底の隆起により、永遠にその姿は失われてしまいました。
　今回の地震では、神々の力により(島が守ってくれた)松島は難を逃れました。東北の復興・再生の兆しとして、なんと私たちを勇気付けてくれる僥倖ではありませんか。
言の葉庵メルマガにて過去掲載したシリーズ、「奥の細道行脚」より、「松島」「象潟」の回を再掲し、日本人の心のふるさと、東北再生を願う応援メッセージとしたいと思います。

～以下、2010年6月－7月「言の葉庵メールマガジン」より。


　五月九日(新暦六月二十五日)、芭蕉一行は今回の旅の目的地のひとつである、松島に到着。感極まった芭蕉は、ここでは句をよんでいない。代わりに、松島賛美の文を堂々たる漢文調「賦の体」で記します。 
　平泉では奥州藤原三代のいにしえに涙し、「夏草やつわものどもが」の句を得、盗賊の出る山刀伐峠を命からがらに越して、当初予定になかった山寺(立石寺)へ五月二十七日(新暦七月十三日)巡行。巍巍たる禅刹の威容に、 

「閑かさや岩にしみいる」 

の名句を得ます。 

　かくて奥州の真中を横断し、行者姿となって羽黒山、出羽三山に登頂、祈念。 
　修験道最高の霊場にて生まれ変わり、新たな生を授かる。 
　一行は日本海側酒田にはじめて出、最上川の激流に翻弄されて下り、ついに象潟へ棹を差します。日本第一とされたこの名勝は、江戸文化年間の大地震で永遠に失われてしまいました。その面影を、ここでも芭蕉屈指の名文により、彷彿とできる喜びをかみしめたいと思います。 


【松島】奥の細道

　そもそも言い古されたことではあるが、松島は扶桑第一の佳景であり、およそ洞庭、西湖 に恥じぬ。 
　東南より入り江となり湾の内は三里、浙江のごとき潮をたたえる。島という島がここに集まり尽くして、そばだつものは天を指さし、伏すものは波に腹這う。あるものは二重にかさなり、三重に畳んで、左に分かれ右に連なる。背負う形、抱く形あり。児孫をあやすかのように見える。 
　松の緑こまやかに、枝葉は潮風に吹きたわめられ、自然が曲げ、伸ばした作品のようである。その景色神秘的にして、美人の顔を粧う 。 
ちはやぶる 神の昔、大山祇の成せるわざか。この天然の造形に、筆をふるわず、言葉を尽くさぬものなどいようか。 

　雄島の磯は、地続きで浜から海に出た島である。雲居禅師の別室跡、座禅石などがある。 
　また、松の木陰に世捨て人の住処もまばらに見えて、落穂・松笠などの煙たなびく草庵にひっそりと住む。どこの誰とも知りはしないが、まずなつかしく立ち寄れば、月が海に映り、昼の眺めとはまたあらたる。 

　浜辺に戻り、宿を求めれば、窓を開いた二階建て。風、雲の中に旅寝してこそ、あやしいほどに妙なる心地となろうもの。 


【象潟】奥の細道

　海山川陸の佳景を見尽くした上、今、心は象潟へとせきたてられている。 
酒田の湊より東北方面へ、山を越え、磯を伝い、砂子を踏んでその距離十里。 
日影やや傾くころ、潮風がふいに真砂を吹き上げ、雨朦朧として 鳥海山を隠してしまう。暗中に莫索して「雨もまた奇なり 」とすれば、雨上がりの晴色、また楽しからずや、と海人の苫屋に膝を入れて雨の止むのを待つ。 
　翌朝、天よく晴れ上がり、朝日はなやかに差し出でるころ、象潟に舟を浮かべる。まず能因島に舟を寄せ、能因法師三年幽居の跡を訪ねた。 

　向かい岸に舟を上がれば、「花の上こぐ」と詠んだ桜の老い木、西行法師の記念が残る。 

　水辺に御陵あり。神宮皇后のお墓だという。 
　寺の名は干満珠寺。ここに行幸されたこと、いまだ聞かぬ。いかなることであろうぞ。 

　この寺の方丈に座して、簾を巻き上げれば、風景一望の内に見渡され、南に鳥海山、天をささえ、その影が映って水上にあり。西は、むやむやの関 まで道が続き、東には堤を築いて、秋田へ通う道遥か。海は北にかまえ、波が江に入るところを汐こしという。 
　入り江の縦横約一里。俤は松島に通じて、また異なるもの。松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとし。寂しさに悲しみを加えて、この地は魂を悩ますかのようである。 

　象潟や雨に西施がねぶの花 

鑑賞(雨に煙る象潟は、西施が長いまつげを伏せて眠る凄艶な美しさ、合歓の花を想わせる)]]>
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    <title>【急告】3/28(月)寺子屋臨時休講</title>
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    <published>2011-03-24T11:54:51Z</published>
    <updated>2011-03-24T11:55:21Z</updated>
    
    <summary> 東北地方太平洋沖地震により、新橋生涯教育センターばるーんの「寺子屋」使用予定教...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/resize0115.jpg"align="right">

東北地方太平洋沖地震により、新橋生涯教育センターばるーんの「寺子屋」使用予定教室が被害を受けました。現在修理中とのことです。よって、3/28(月)の「寺子屋」は臨時休講とさせていただきます。不自由をおかけしますがなにとぞよろしくお願いいたします。なお、次回4/4および、4/25は通常通り開講予定です。]]>
        
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