心にしみる名言、知恵と勇気がわいてくる名文を、千年の古典名著から毎回お届けしています。
No.21
茶禅一味。
No.22
無芸であること、一芸となる。
~『山上宗二記』より
No.21 茶禅一味。
[本文抜粋]
この一巻は、珠光が目利き稽古の道を、能阿弥に問い究め、その内容を日記としてつづったものである。後継者、宗珠へ相伝した。(ある本によれば、末子に相伝したとある)引拙の時代までは、珠光の風である。その後、紹鷗がことごとく改め、加筆を終えた。紹鷗は当時の偉人であり、先達、中興である。追加の一巻は辻玄哉まで相伝された。茶の湯の道具と秘伝が追々記されている。さて、この内茶の湯の行き方はすべて禅からきたものである。口伝・秘伝は口頭にて伝えたい。書いたものはない。奥書に載せたものだけである。
紹鷗が逝去して三十余年、今、茶の湯の先導者は宗易である。すなわち宗易尊師に二十余年の間、聞き置いた秘伝の数々をこれへ書き改め、勘考しているところ。名物一種一種についての目利きの習い、奥儀がここにある。とどまるところ、数寄者の覚悟とは、禅の心をもってなすべきである。
紹鷗末期の言。
料知す。茶味と禅味同じなること
松風を吸い尽くして、こころいまだ汚れず
唐物は代価の高下によらず、床に飾る道具をもって名物とよんだ。大壺と三つ石は、昔より床に飾ってきた。その他、当代千万の道具はみな紹鷗の目利きによって選び出されたものである。
[解説]
名言名句既出「一期一会」と同様、あるいはそれ以上に重要かもしれない、茶の湯精神の根本を説く、成語・概念です。
茶と禅、そのあらわれてくる形相や作用は異なりますが、実体は別物ではなく、人間形成の道としてみれば、両者は不可分にして一体である、とする説。概念としては、戦国期すでに芽生えていましたが、明確な思想と成語として書物にあらわれた初出は『山上宗二記』。珠光一紙目録の項に、「紹鷗末期の言」として出てきますが、実際は紹鷗参禅の師、大徳寺の大林宗套の言葉です。紹鷗の肖像画の賛として、
料知茶味同禅味 汲尽松風意未塵
と書かれたのが「茶禅一味」のはじまり。宗二記では他の箇所にも、
「茶湯は禅宗より出たるに依て、僧の行を専にする也。珠光・紹鷗、皆禅宗也」
「道陳・宗易は禅法を眼とす」
などと説かれています。宗二記に引き続き、その後主な茶書に「茶禅一味」は、たびたびあらわれてきます。
「小座敷の茶の湯は、第一仏法を以って修行得道すること」
(南方録)
「茶道は本来禅によるがゆえに禅と同じく言語道断であり、さらに示すべき道もない」
(茶話指月集)
「茶意は即ち禅意也。故に禅意をおきて外に茶意なく、禅味を知らざれば茶味も知られず」(禅茶録)
「茶禅一味」の「一味」は、もと仏教語です。今日の一般的な意味「仲間・味方」とは別に、以下のような意味があります。
【一味】如来の教えが、説き方はさまざまであっても、その本旨はただひとつであること
『新漢和辞典』大修館書店
「一味」と関連し、禅・茶での重要な概念「三昧」も、同じく仏教用語。
【三昧】〔梵語〕samadhiの訳語。一つの事に心を集注して邪念のないこと。ひいて一つの物事に熱中すること
『同上』
禅の基本は禅定三昧の行であり、茶道の重んじるところもまた点茶三昧です。この「三昧」こそ茶禅一味の成り立つ共通の基盤であり、三昧の境地から進んで、はじめて茶は禅に通じ、真の茶道となります。三昧より入る茶にあらずば、点前がいかほど巧みであろうと、禅と「一味」の茶とはいえません。
さて、このように禅(仏教)と縁の深い茶の湯。その礼法がキリスト教のミサと似ていることから、一時「利休=キリシタン説」が提唱され、物議をかもしたこともありました。仏教と茶の関係を、キリスト教と葡萄酒の関係と対比させる、鈴木大拙のユニークな説を紹介しましょう。
茶が仏教を象徴するならば、葡萄酒はキリスト教を代表する、といえぬだろうか。葡萄酒はひろくキリスト教徒に用いられる。教会ではキリストの血を象徴するものとしているが、その血なるものはキリスト教学者にしたがえば、罪業深き人類のために救世主によりて流されたものである。こういう理由からか、中世の修道院では酒廠を持っていた。肥えふとった修道僧たちが樽をかこみ酒盃をとって、陽気に楽しげに見える画はわれわれのときどき見るところである。葡萄酒は初めはその飲手をうきうきさせ、やがては彼を酩酊させる。多くの点で、茶といい対照をなすが、このコントラストはやがてまた仏教とキリスト教とのあいだのそれでもある。
『禅と日本文化』鈴木大拙
少し話がそれましたが、「茶禅一味」「三昧」の境地がめざすものは、「和敬清寂」の道ということがいえるのではないでしょうか。これは、まさに禅の世界観・人生観に深く根ざすもの。茶と禅の生活目標は別物にあらず、ということ。
「和」は聖徳太子の「和をもって尊しとす」。人と人との心の通い合い、調和を意味します。「敬」は人を敬い、お互いの文化を尊重。「清」は穢れのない清らかな心。そして、その根底には「寂」、つまり静寂な悟りの境地があり、すべてはここへとつながっていくのです。
No.22 無芸であること、一芸となる。
[本文抜粋]
一 茶の湯者は、無芸であること一芸となる。紹鷗が弟子どもに、
「人間六十が寿命といえども、身の盛りはわずか二十年ほどのこと。絶えず茶の湯に身を染めてはいても、なかなか上手になれはせぬ。いずれの道でも同じである。まして他芸に心奪われては、皆々下手となってしまおう。ただし、書と文学のみ、心にかけよ」
といわれた。
『山上宗二記』茶の湯者覚悟十体
[解説]
「茶の湯者覚悟十体」の最後の一条にあることばです。紹鷗が利休などの弟子に伝えた教えのひとつ。紹鷗は”深切”の人で、弟子たちにことばや故事を用い、よく指導した。かたや、利休はことばで直接教えることを嫌い、弟子が自ら悟るようによく叱ったといいます(南方録)。
この句も、上の「三昧」の境地をいったもの。ただし、ひとつだけ嗜んでもよい例外の「他芸」があります。
「ただし、書と文学のみ、心にかけよ」
書道と学問、すなわち手習いだけはせよ、といっている。ところで、世阿弥もほとんど同じ事をいっています。ただし、やってよい多芸は、「和歌」。
「何よりもこの道を極めようとする者は他の芸能に心を移してはならない。ただ歌道のみは例外である。この芸を飾る美となるもの。しっかりと身につけるべきである」
『風姿花伝』序
「無芸」とは、人としてまったくうつろな無知・無学・無教養をいうものではなく、禅定三昧の”空”をさすものと理解しましょう。茶の湯や能を修行して、「道」にはいるために必要な素養の存在を紹鷗も世阿弥も認めている。
『葉隠』では、「奉公三昧」を追究し、芸能はおろか学問までもあざ笑い、切って捨てます。
「芸能が上手といわれている人は、頭が空っぽである。これは、ただひとつのことにのみ執着する、純粋で愚かな性質ゆえ、他のことは何も頭に入らず芸が上達するのである。何の役にも立たぬもの。」
『葉隠』聞書一 一四七
「よろずの芸能も、武道奉公のためにと心に構えてすれば、役に立ってよいものだ。しかし大方は芸の方が好きになってしまう。学問などはとりわけ危ない。」
聞書一 八〇
『葉隠』特有の過激な言辞に度肝を抜かれますが、いっていることは同じ「無芸こそ、一芸」。主語の「武道奉公」を、「茶の湯」または「能」と読み替えれば、何も驚くものではありますまい。しかし、「学問などはとりわけ危ない」には、妙に納得してしまう部分もありますが。
さてこの「無芸」は、無論「無芸大食」などという時の、意志や目的のないものではありません。「一芸」を追い求める以外、他のものは一切目に入らぬ、何も成せぬ、という境地。あらゆる分野の偉人は、例外なくこの三昧の境地から生まれています。芭蕉もまた同様にいう、「ついに無能無芸にして、ただこのひと筋につながる」と。
「百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。終に生涯のはかりごとゝなす。ある時は倦て放擲せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかふて、これが為に身安からず。しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学て愚を暁ン事をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして、只此一筋に繋る。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道(通カ)する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ処月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり」
『笈之小文』風羅坊(松尾)芭蕉
屈指の名文です。ただの美文、修辞ではなく、飾らぬ真情を吐露しながらもいささかも卑俗に堕することがない。「ある時は倦て放擲せん」「すゝむで人にかたむ」「胸中にたゝかふて」「身を立む事をねがへども」…「つゐに無能無芸にして、只此一筋に繋る」のです。他の一切を遮断して精進、潔斎することではなく、人として煩悩・迷いにまみれ、回り道をしながらも、気がつけば俳諧の「只此一筋」につながっていた。これを、道、といいます。
2007年03月04日 21:55
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