心にしみる名言、知恵と勇気がわいてくる名文を、千年の古典名著から毎回お届けしています。
No.23
きのふの我に飽くべし。
No.24
名人はあやふき所に遊ぶ。
~松尾芭蕉
No.23 きのふの我に飽くべし。
『俳諧無門関』蓼太より
[解説]
偉大な芸術家ほど、生涯を通じてその表現スタイルを劇的に変えていくもの。古今東西、その例は数多く認めることができるでしょう。ここで、捨て去るべきスタイル、打ち勝つべき敵は、周りの何か、誰かではなく、昨日までの退屈な我とわが身。剣聖宮本武蔵はいいます。
「けふはきのふの我にかち、あすは下手にかち、後は上手に勝つ」
『五輪書』水の巻
俳諧の猛者が揃った当時の蕉門高弟どもを前に、芭蕉は、
「上手になる道筋たしかにあり。師によらず、弟子によらず、流によらず、器によらず、畢竟句数多く吐き出したるものの、昨日の我に飽きける人こそ上手なり」
『篇突』許六
と説いています。芭蕉には『俳諧七部集』という、自身直接編集に関わった俳諧選集がある。『冬の日』『春の日』『曠野』『ひさご』『猿蓑』『炭俵』『続猿蓑』の七つの句集です。これらに目を通すとき、その作風の変遷は一目瞭然。「さび」を代表として、「しをり」「ほそみ」「新しみ」「かるみ」「あだ」…、次々と新しい俳諧美学・文芸概念を打ち出してきました。同時にいとも軽々とそれらを捨て去り、打ちこわし、また新しい概念、スタイルへと移り変わってゆきました。芭蕉没後、綺羅星のごとく多士済々であった蕉門門下生たちは、四分五裂。ついに芭蕉の正統を継ぐものが生まれなかった原因は、このあまりにも激しい師の変遷に誰もついていけるものがなかったから、といわれているほどです。
人口に膾炙した、芭蕉の俳諧理念、「不易流行」。そして、それまでの蕉門句風を全否定する衝撃的な「かるみ」の提唱も、多くの有力な門人たちが目標としてきた指針を奪い、混乱を巻き起こした原因とも目されています。
「点者をすべきより、乞食をせよ」
『石舎利集』孟遠
と言い切る、孤高の俳人。確立された門風句風により多くの弟子を養い、大宗匠として安定した地位を得る。そして、後世に有用な”俳諧の種”を伝えることに、芭蕉は何の興味もありませんでした。あれほど骨身を削り、長年月丹念に磨き上げてきた自身の美学「きのふの我」に、朝目が覚めると、耐え難い眠気、物足りなさを感じ、一瞬の躊躇なくリセット・ボタンを押すのです。
筆者を含め世の凡人は、過去の小さな実績・成功にすがり、幾度もこれを反芻しては心地よい満足感に身をゆだねるもの。誰しも「きのふの我」は、懐かしくいとおしい。この居心地のよい、幸せな場所には、夢も未来も、何もありはしない、と枯野の果てから秋風のごときその人の声が聞こえてきます。
No.24 名人はあやふき所に遊ぶ。
『俳諧問答』許六より
[解説]
白洲正子のエッセイ集同名タイトルにより、広く知られるようになりました。が、これは能役者のことばではなく、俳聖松尾芭蕉の名言です。
一見、前項の「きのふの我に飽くべし」と意味が似ているようにも思えます。しかし、この句の真意は、ずいぶんとへだたったところにある。理由を述べる前に、この句の生まれた背景を見ましょう。
元禄六年春。弟子の許六宿元を訪れた芭蕉は、当日三月晦日であったことから、許六に「衣更」の句をよむようすすめます。許六は、芭蕉晩年の愛弟子。前年元禄五年入門していますが、俳諧のたしなみ深く、芭蕉に深く傾倒していたため入門と同時に師に認められて、めきめきと頭角を現し、蕉門十哲の一と数えられるようになる高弟です。
さて、このとき許六師を前に緊張し、何句吟じてもなかなか、われにも師にも叶うものがなせぬ。芭蕉は、
「仕損ずまい、という気持ちばかりでは到底よき句の生まれるものではない。”名人はあやふき所に遊ぶ”もの」
と教えます。許六大いに悟り、ただちに
人先に医師の袷や衣更え
の句を得、師にほめられます。
さて、「きのふの我」と「名人はあやふき」では、芸道者自身その時点での段階(レベル)がまるで違います。「きのふの我」が目指すのものは、「上手」のレベル。「名人はあやふき」は、その句のとおり「名人」レベル。芸道でいうところの「上手」とは、プロフェッショナルの上位をさします。俳人でいえば、職業俳者、いわゆる「業俳」の最上位の人。蕉門でいえば、其角あたりでしょうか。これに比べ、名人は、その時代その道にひとり出るかでないか、というほど神技に近いレベルに達した人。すべての分野をマスターしつくし、完全に尋常なレベルから抜け出た段階をさします。
「きのふの我」は、いいかえれば、発達段階・成長段階です。まっとうな領域にて、上を目指しています。かたや、「名人」が遊ぶ、「あやふき所」は、正統な芸道過程を逸脱したところ。時により、タブー、邪道の領域。時により、素人・初心者が陥る範囲です。
世阿弥の芸道論では、能役者の芸のあるレベルをあらわす段階に、「蘭けたる位」といわれるものがある。また、通常の芸の段階は「九位」に分かれるとされます(『至花道』世阿弥)。九位は、まず下位の三つのレベル、「麁鉛風」「強麁風」「強細風」。次に中位の「浅文風」「広精風」「正花風」。そして上位の「閑花風」「寵深花風」「妙花風」。これらに区別、分類されると説きます。
修行の順番として、中三位からはじめたものが、順調に上がってゆけば、やがて上三位に達し、上がれぬものは、下三位に転落する。しかし時として、上位の三位に達したものが、場合により芸が高い位に停滞するを潔しとせず、変化を求めてあえて下三位の芸を演ずることがある、とします。これは、名人のみに許されること。世阿弥は、これを却来、あるいは向却来とよび、このレベルの芸を「蘭けたる位」としています。
「あやふき所に遊」び、芸が芸として成立するのは、名人のみに許されること。むろん入門一年目の許六は、名人ではありませんが、師芭蕉の「わたしなら、そのように観じて、飛び越える」とのアドバイスに、元来勘のよい許六、ハッと悟るところあり、迷いを断ち切ったのです。本来、「あやふき所に遊ぶ」は誰にも許されない禁じ手。「あやふき」をわきまえ、悟り、あえて禁断の地へ遊ぶ、名人の心のあり方のみを伝えようとした、と解釈すべきでしょう。
2007年04月23日 21:07
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