心にしみる名言、知恵と勇気がわいてくる名文を、千年の古典名著から毎回お届けしています。
No.42
怒髪上りて冠を衝く。
~『史記』廉頗藺相如列伝
「怒髪天を衝く」の元の句で、司馬遷の史記にある言葉。最大級の怒りを表現する成句です。二千年以上前、一人の男が命をかけて国を守ろうとしたその瞬間、阿修羅神が宿りました。そして強大な敵を粉砕したのです。
この成句の元となったのは、戦国時代末、趙の恵文王につかえた上卿藺相如(りんしょうじょ)。もとは宦官の長官の一食客にすぎなかった「ただの人」。それが天に選ばれ、3000年の歴史に名を残す痛快な生き様を描いて見せました。司馬遷は藺相如を史記の中で「文武知勇の将」「死を克服した男」として絶賛します。この凄まじい廉頗藺相如列伝を読み終え「よくぞ生きて」と誰しも思うのではないでしょうか。
またこの藺相如列伝からは「怒髪天を衝く」以外にも、「完璧」「刎頚の交わり」などの成語が生まれています。藺相如は、タイプとしては将軍ではなく、政治家、外交官。大国秦の専制君主を相手に弱国の一使者が一歩も譲らぬタフネゴシエーションを発揮。失敗すれば官を辞すだけでは済まず、間違いなく命を落とす。国を守る命がけの姿が二千年以上たった今もなお感動を呼び起こします。
「史記」廉頗藺相如列伝を【言の葉庵】最新訳にてお届けしましょう。文中一部省略しています。
藺相如(りんしょうじょ)は、趙の人である。趙の宦官の長官、繆賢(びゅうけん)に近侍していた。
趙の恵文王の時、天下の名宝たる和氏の璧(かしのへき)を手に入れた。秦の昭襄王はこれを耳にし、趙王に書を送って、秦の十五の城と和氏の璧を交換したい、と申し入れてきた。趙王は将軍の廉頗や大臣たちを集め討議する。璧を与えても秦は恐らく城を寄越さず、うかうか騙されるだけ。また与えぬ場合は、それを口実に攻めてくるに違いあるまい。議論はいたずらに長引くばかり。方策は決まらず、使者も見当たらなかった。
これを聞いた繆賢が、家臣である藺相如を恵文王に推薦。王に引見された藺相如は、下問によどみなく答え、事調えば良し、調わねば「璧を全うして趙に帰らん」と誓約する。王は信頼し、相如を秦へと遣わせるのであった。
秦王は宮殿の高座に坐し、相如を引見する。相如は璧を捧げ持ち、秦王に奉った。秦王は大いに喜び、侍女や近侍の者どもに次々と回してこれを見せた。みな万歳を唱える。この様子に相如は、秦王が城を与える気がないことを察知し、進み出て申し上げた。
「実はこの璧、一箇所疵がございます。それ、その辺りに」
王は璧を相如に渡す。相如はこれを受け取るや、脱兎の如く柱の側に駆け寄って立つ。憤怒の表情凄まじく、髪は逆立って冠を持ち上げんとするほど。そして秦王にいった。
「大王は璧を得んと使者を趙王に遣わされた。趙王は家臣みな招集してこれを討議したのです。みな口を揃えて、秦は強欲な国、国の力を恃んで虚言を弄し璧を奪おうとしている、秦のいう十五の城など与えられるはずがない、と申しました。議論は璧を与えぬ方向へと傾いた。しかし臣は、たとえ庶民の口約束であっても互いに欺くことはない、ましてや大国の約束がむざむざ破られようか、しかもただ一個の玉ごときで強国秦との関係をこじらせるは愚策である、と提言しました。ついに趙王は決心。五日間の斎戒の後、臣に璧をゆだね書とともに貴国へと奉じたのです。すべては大国の威をはばかり、敬意を表してのこと。
しかし今、臣が来てみれば大勢の見物人を呼び、はなはだ礼を欠いた傲慢なるふるまい。壁を手にするや侍女に回し見せ、家来のなぐさみものとしました。これを見て大王には城を譲る気のないことを悟ったので、今この手に璧を取り戻した。大王よ。臣を捕らえんとするなら、即座にわが頭とともに璧を柱に打ちつけ、砕いて見せよう」
相如は璧を高くかかげ、柱を見据えまさに打ちつけようとした。
秦王は璧を惜しみ、その場で陳謝し、約束した。役人に秦の地図を持ってこさせ、しばし案じて図面を指差し、これより先の十五城を与えよう、といった。相如はその態度に王の偽りを感じ取っていった。
「和氏の璧は天下の名宝。しかし趙王は秦国を恐れ、あえて献上したものです。璧を送り出すに際し、趙王は五日間の斎戒をしました。すなわち大王におかれても、五日間の斎戒を経た後、九賓の礼をもって宮廷にて拝受いただきたい。さすれば臣は慎んでこれを奉りましょう」
秦王はこれを受け入れ、五日間斎戒。その間、相如を広成殿の宿舎に泊らせた。しかし相如は秦王を信じなかった。従者にボロを着せ、璧を託して間道を抜け、趙へと帰したのである。
斎戒を済ませた秦王は、九賓の礼をもって藺相如を引見した。相如はいう。
「秦は繆公以来、二十余君いまだ一人として約束を守る王がおりませぬ。臣は王に欺かれ、趙王の使命を果たせぬことを恐れます。ゆえに璧は人に託し、ひそかに趙へと戻しました。秦は強く、趙は弱いのです。大王が一人の使者を趙に遣わせば、たちどころに璧を献上いたしましょう。強い秦が先に十五城を趙に与えるなら、弱い趙が王を欺き璧を差し出さぬことなどありえましょうか。臣がかく王を欺きしことは死に値します。願わくは、釜茹での刑に処せられますように。その後、ご家臣とよくよく検討なさってください」
王は群臣と顔を見合わせ驚く。相如をひっ捕えんと侍臣が駈け寄る。しかし秦王はいった。
「相如を殺したとて、もはや璧は手に入るまい。しかも秦と趙との関係は破れてしまう。それよりも相如を厚く遇して、趙に帰らせるにこしたことはない。趙王とてなにゆえ玉一つのことでわれを欺こうか」
結局、宮廷で相如を引見し、礼を終えて無事帰国させたのである。
相如は帰国すると趙王よりその功を称えられ上大夫に任ぜられた。ついに璧と城との交換は白紙に戻ったのである。その後、秦と趙は二度干戈を交える。その和睦のために澠池(べんち)にて会見を持たんと、秦より趙へ使者が遣わされた。澠池は秦の国内、趙よりは遠く隔たっており、万一の時、兵も急行できない。これを危ぶみながらも国のため行かねばなるまい、と恵文王は決意。藺相如を供として”死地”へと赴くのであった。
澠池では趙王一行を迎え、盛大に宴がはられた。秦王は大いに酒に酔い、宴たけなわにしておもむろにいう。
「余は趙王が音楽をたしなまれるとひそかに聞いておる。ここで瑟(しつ・大琴)を弾いてくださらんか」
趙王は乞われるままに瑟を弾いた。秦の記録官が進み出て書きとめた。
「某年月日。秦王は趙王と会食。趙王に瑟を弾かせしめた」
そこで藺相如が進み出ていった。
「わが君は、秦王が歌自慢と聞き及んでおります。秦王に盆缻(ぼんふ・土器。秦人はこれを打って歌の拍子をとった。ただし中国では下品な行為)を奉ります。それを打っていただき、ともに歌い楽しもうではありませんか」
秦王は怒色を表わし、そっぽをむく。相如はさらに進み出て、盆缻を秦王に突きつけ、ひざまずいて迫った。秦王は無視する。相如はいった。
「ここからあなた様まで、わずか五歩。わが首を刎ね、その血を大王に注げましょう」
秦王の側近は相如に斬りかかろうとする。相如は睨みつけこれを大喝。みなたじたじとなる。
ついに秦王はいやいや一つだけ盆缻を打った。相如は振り向き趙の記録官を呼んでこう書かせた。
「某年月日。秦王、趙王のため缻を打つ」
しばらくして、秦の群臣がいいだした。
「どうであろう。秦王の長寿を祝って、趙の十五城を贈呈されては」
藺相如もいった。
「いかがかな。趙王の長寿を祝って、秦の咸陽(首都)を贈呈されては」
このようにして、秦王はついに酒宴の果てるまで、趙の上に立つことがかなわなかった。この時、趙軍が厳重に警護して秦を監視していたため、ついに秦軍は動くことがなかったのだ。
これらの功績により、帰国後藺相如は上卿(大臣最高位)を任ぜられた。以降、名将廉頗とともに国家の両輪となって固く国を守り続けたが、相如、廉頗亡き後趙はついに秦に滅ぼされた。
「史記」廉頗藺相如列伝 現代語和訳 能文社 2010
底本 「新釈漢文大系89 史記(列伝二)九」明治書院
2010年02月11日 18:40
このエントリーのトラックバックURL:
http://nobunsha.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/143
コメント
コメントしてください
名言名句 第二十回 龍馬の手紙 日本を今一度せんたくいたし申
名言名句 第十五回 徒然草 し残したるを、さて打ちおきたるは
名言名句 第十三回 珠光茶道秘伝書 心の師とはなれ、心を師とせざれ
名言・名句 第十回 南方録 夏は涼しいように、冬は暖かなように
「通勤電車で読む、心の栄養、腹の勇気。今週の名言・名句」、「スラスラ古文が読める。読解ポイントの裏技・表技。古典原文まる秘読解教室」などのコンテンツを配信しています。(隔週)
現在、弊社では各業界より、マーケティング関連委託案件があります。
つきましては下記の各分野において、企業・フリーランスの協力パートナーを募集しています。
◇アナリスト、リサーチャー
◇メディアプラン(フリーペーパー、カード誌媒体等)
◇プランナー、アートディレクター、コピーライター
◇Web制作
◇イベンター、SPプロモーション
◆化粧品・健康食品・食品飲料・IT・通信分野